「大森貝塚遺跡庭園」を見学しよう!発見者や出土品・見どころまで徹底ガイド!

東京都品川区から大田区にまたがる大森貝塚。アメリカ人モースによって発見された縄文時代後期~末期の貝塚です。現在、大森貝塚遺跡庭園として整備され、さまざまな出土品などを見学することができます。東京は知っていても大森貝塚を知らない方、おすすめの観光スポットです。

「大森貝塚遺跡庭園」を見学しよう!発見者や出土品・見どころまで徹底ガイド!のイメージ

目次

  1. 1東京の大森貝塚からはじまる大人の社会科見学へ出かけよう
  2. 2大森貝塚遺跡庭園とはどんな公園?
  3. 3大森貝塚のふたつの碑の謎
  4. 4大森貝塚遺跡庭園への行き方
  5. 5大森貝塚遺跡庭園の基本情報
  6. 6大森貝塚を発見したモースとは?
  7. 7モースはどうやって大森貝塚を発見したのか?
  8. 8大森貝塚の出土品とは?
  9. 9大森貝塚の出土品の時代は?
  10. 10大森貝塚遺跡庭園への理解を深めるために
  11. 11大森貝塚に続く東京の貝塚とは?
  12. 12大森貝塚から足を伸ばす東京の貝塚1:小石川植物園内貝塚
  13. 13大森貝塚から足を伸ばす東京の貝塚2:弥生二丁目貝塚
  14. 14大森貝塚から足を伸ばす東京の貝塚3:中里貝塚
  15. 15大森貝塚から足を伸ばす東京の貝塚4:居木橋遺跡
  16. 16大森貝塚遺跡庭園からはじまる東京再発見の旅へ出よう

東京の大森貝塚からはじまる大人の社会科見学へ出かけよう

日本の考古学発祥の地とも呼ばれる大森貝塚

東京の大森駅から徒歩5分に位置する大森貝塚遺跡庭園。東京はよく知っている方でも行ったことがないという方、けっこういらしゃるのでは? アメリカ人モースによって縄文時代の土器や動物の骨、貝殻などが大量に発見され、考古学発祥の地とされました。今回は大人の社会科見学におすすめの観光スポット、大森貝塚遺跡庭園をご紹介します。

大森貝塚遺跡庭園とはどんな公園?

大森貝塚をテーマにした大森貝塚遺跡庭園

東京の品川区にある大森貝塚遺跡庭園。言うまでもなく、大森貝塚をテーマにした公園で、園内は30分ごとにミストが噴水する縄文の広場、地層をイメージした地層の回廊、大森貝塚を発見したモース博士の像がある広場、実物の貝塚を見ることができる展示をはじめ、興味深いさまざまなブースがそろっている公園です。

公園として規模はさほど大きいわけではありませんが、夏にはミストが気持ちよく、遊びながら学べる公園として、教育的にもおすすめの遊びスポットです。遺跡庭園の線路側には「大森貝塚碑」が立っており、モース博士がここを掘ったということがわかります。

園内には、大森貝塚の復元模型がある地下道もあります。当時の人々の生活や貝塚がどんなイメージだったのかを想像することができます。家族連れはもちろん、大人のひとり旅でも実りの多い発見があるはず。ぜひ足を運んでみましょう。

大森貝塚のふたつの碑の謎

大森貝塚にまつわるふたつの碑とは?

大森貝塚の石碑はふたつあります。ひとつは大森貝塚遺跡庭園にある「大森貝塚碑」、もうひとつは大森駅近くにある「大森貝墟」です。貝塚碑は1929年に、貝墟碑は1930年に建てられ、ともに大森貝塚の石碑です。

なぜふたつあるのかというと、大森貝塚発見者のモースが詳細な発掘場所を記さなかったこと、貝塚発見所在地を大森村と記していたことに起因します。結果、大森貝塚には品川説と大田説がありました。

その後の調査から、当時の東京府が現品川区内の土地所有者に調査補償金を支払った証拠が発見されたほか、貝墟碑の近くからは貝層が発見されなかったことから、現在ではモースが調査したのは品川区側であったとされています。

大森貝塚遺跡庭園への行き方

京浜東北線で大森へ

大森貝塚遺跡庭園への行くには、電車を使っていくのが最も便利な行き方です。JR大森駅は京浜東北線の駅で、品川駅から6分、川崎駅から10分、横浜駅から20分とアクセスが便利。大森駅からは歩いて5分程度となっていますので、ちょうどいい散歩道になります。

京急本線の最寄り駅は大森海岸駅や立会川駅で、ともに駅から歩いて20分弱。JR西大井駅からも歩いて20分程度ですので、歩くのが好きな方はこういった駅から歩くのもおすすめです。

なお、大森貝塚遺跡庭園には駐車場がありません。都内の観光スポットを散策する際は車よりも電車やバスを使ったほうが便利でしょう。

大森貝塚遺跡庭園の基本情報

夕方の来園は注意が必要

大森貝塚遺跡庭園は、入園料無料の公園ですが、つねに開いている公園ではありません。開園時間は時期によって異なり、7~8月は9時~18時まで、11~2月は9時~16時まで、その他の期間は9時~17時までとなっています。なお、大森貝塚遺跡庭園は年中無休です。午後に訪れる際は、閉園時間には注意しましょう。

大森貝塚を発見したモースとは?

モース博士は貝の研究者

大森貝塚を発見したモース博士(Edward Sylvester Morse)は、アメリカ人の動物学者で、貝の研究をしていた博士です。1877年、2枚の殻を持つ腕足類という貝が30種以上日本にいるという情報をつかみ、モース博士は日本に行くことに。モース博士は、日本についてほとんど関心がなかったそうです。

モース博士が研究していた腕足類という貝は、6億年前から携帯の変化が見られないことから、モース博士は貝塚の発掘などの経験もあったのだとか。このモース博士の経験が、大森貝塚発見につながったことは疑う余地がありません。

モース博士は結局、その人生において三度日本を訪れ、晩年は、日本を旅した記録を執筆、日本政府から勲章を二度も受けるなど、日本との交流を深めました。

モースはどうやって大森貝塚を発見したのか?

横浜港に到着したモース博士が見たものは?

はじめての来日の際、モース博士はサンフランシスコから船で横浜港へと向かいました。当時の日本には外国人に対してさまざまな規制があったため、その便宜を図ってもらうため、モース博士は横浜から東京へと向かいました。その途中、大森を過ぎたあたりで目にしたのが貝塚だったのです。

その当時、モース博士は現東大の客員教授として招かれていたため、助手や学生を引き連れて貝塚の発掘を行いました。当時、貝塚について知られていなかったため、モース博士たちは手で掘って発掘したのだとか。

モース博士は大森貝塚で多くの出土品を発掘しました。出土品は260点以上ありますが、その出土品のほとんどが土器。時代は縄文時代後期、いまから3000~3500年前のものであると考えられています。

大森貝塚の出土品とは?

大森貝塚の出土品のほとんどが土器

モース博士が大森貝塚から発掘したのは1877(明治10)年。出土品は260点を超えます。出土品のほとんどが土器で214点、その他の出土品として、土版 6点、骨角器 23点、石器 9点、貝 9点が発掘されました。このうち 165点の出土品がのちに重要文化財に指定されています。

モースの発掘以降、1885(明治18)年に博物学者の南方熊楠が土器や骨を採集し、1908(明治 41)年に作家の江見水蔭が遺物の収集目的で乱堀を行いました。

学術的に発掘が行われたのは1941(昭和16)年、慶応義塾大学によるものですが、残念なことに、そのときの出土品や記録は戦災で焼失してしまいました。

大森貝塚の出土品の時代は?

縄文時代を代表するのが縄文土器

大森貝塚から発掘された出土品の時代は縄文時代後期、いまから3000~3500年前のものであると考えられています。縄文時代とは、およそ1万5000年前から2300年前までの時代のことで、世界史では中~新石器時代に相当する時代とされています。

縄文時代の特徴として、縄文土器、竪穴住居、貝塚などが挙げられ、水田耕作や金属器などを特徴とする弥生時代とは異なる時代だとされています。

なお、縄文時代の縄文という名称は、モース博士が発掘した土器をCord Marked Potteryと報告したことに由来し、この訳が縄文土器となり、縄文土器を使った時代を縄文時代とするようになりました。

大森貝塚遺跡庭園への理解を深めるために

大森貝塚の歴史への理解を深めるには品川歴史館へ

大森貝塚遺跡庭園の展示をさらに深めるためには、品川区立品川歴史館がおすすめです。古代から近代にいたるまでの品川区の歴史について展示されていますが、原始から古代の展示では大森貝塚のことも触れられています。品川区は大森貝塚を二度も発掘調査していますが、新しい貝層のほか、住居跡なども確認されています。

貝塚を再現した展示も

品川は江戸時代の宿場町だった

品川歴史館には江戸時代の品川宿を再現した模型もあって、なかなかすばらしい展示となっていますが、貝塚を再現した展示もなかなか興味深いものになっています。また、モース博士が発掘した際の出土品なども一部展示されており、モース博士が大森貝塚を発見した当時の雰囲気を偲ぶことができます。

大森貝塚から歩いて10分の近さも魅力

町を散歩しながら品川歴史館へ出かけよう

品川区立品川歴史館は、大森貝塚遺跡庭園から歩いて10分とかからない場所に位置します。大森貝塚遺跡庭園まで足を伸ばすのであれば、ぜひ立ち寄りたい観光スポットです。意外と知らない東京の歴史の断片を学ぶためにも、大人の社会科見学では知識を掘り下げていきましょう。

大森貝塚に続く東京の貝塚とは?

東京の庭園のこんな場所にかつて貝塚があったり

日本史の教科書に掲載される大森貝塚以外にも、東京には貝塚が点在します。中には保存状態が良好なものや、大森貝塚よりも規模の大きなものもありますので、大森貝塚で日本の縄文時代の歴史に触れたら、ほかの貝塚も見学してみるのもおすすめです。それまで知らなかった東京を知ることができる小さな冒険になるかもしれません。

東京には、時代が不明な貝塚などをのぞいても、縄文時代や弥生時代のものであると断定できる貝塚は100件以上あります。こんな場所にこんな貝塚があったとはと驚くものもありますので、興味のある方はぜひ東京の貝塚を散策してみてはいかがでしょうか。

大森貝塚から足を伸ばす東京の貝塚1:小石川植物園内貝塚

この静けさ、本当に東京なのかと疑ってしまう小石川植物園

小石川植物園は、江戸時代に薬になる植物を育てる目的で開かれた小石川御薬園で、1877(明治10)年に東京大学が開設されたときに一般公開されるようになった公園です。園内にはおよそ4000種の植物が栽培され、四季を通してさまざまな花木を楽しむことのできるおすすめの庭園となっています。

実はモース博士が発見した貝塚

小石川植物園の貝塚を発見したのもモース博士だった

そんな小石川植物園の貝塚を発見したのも、実はかのモース博士であるというのには驚きます。公式に発掘報告はなされていませんが1878年に貝塚の発掘をしたことが知られています。その後、1950年の再調査で住居跡を探索し、縄文時代の竪穴住居をふたつ完掘すると同時に、大量の土器と石器が発掘されました。

東京の文京区のあたりは遠浅の入江

東京の中心地が遠浅の入江だったなんて

縄文時代中期ごろの貝塚からはハマグリなどの海産性ものが見られましたが、後期から晩期にかけての貝塚からはシジミなどの淡水性なども見られるのだとか。当時、小石川植物園のあった文京区のあたりは遠浅の入江が形成されていたとされ、貝類が豊富で人々が生活していたと考えられています。いくつもの発見のあるおすすめのスポットです。

大森貝塚から足を伸ばす東京の貝塚2:弥生二丁目貝塚

東京大学構内にある弥生二丁目遺跡

1884(明治17)年、東京大学工学部構内にあった遺跡から、縄文土器とは明らかに異なる土器が発見されました。のちに、当時の地名を取ってその土器は弥生式土器と名称され、さらに発掘の中で土器や貝殻が採取され、この地は弥生時代後期の集落跡であったとされ、弥生二丁目遺跡として国の指定史跡となりました。

シンプルで美しい弥生土器

弥生土器は縄文土器とは明らかにちがう

弥生土器は、縄文土器に比べると、色が明るく、形や模様はシンプルで優美であると言われています。実際、縄文土器のゴツゴツした印象はなく、すっきりした造りになっています。首の細い壺をはじめ、口の広いカメ、盛り付け用の高坏(たかつき)などが主な種類で、輪状にした粘土を積み上げるような作り方で、ろくろの使用は見られません。

見学は自由

見学自由の国の史跡へぜひ足を運んでみて

弥生二丁目遺跡は東京大学浅野キャンパスの構内にあります。見学自由のおすすめの遺跡ですので、ぜひ足を運んでみましょう。国の史跡として指定されているため、空地のように解放されたスペースとなっています。当時の人々の生活を想像しながら散策すると、イメージできることがあるかもしれません。

大森貝塚から足を伸ばす東京の貝塚3:中里貝塚

中里貝塚も国の史跡

中里貝塚は、東京都北区上中里にある貝塚で、国の史跡として指定されています。縄文時代中期から後期にかけて、大規模な貝の加工場であったと考えられている、日本では最大級の貝塚です。JR上中里駅の東側に1km以上も延びる貝塚で、現在は公園として整備されているので、散歩コースとしてもおすすめです。

貝の加工場だったという日本最大の貝塚

ハマグリなどの回の加工場だった遺跡

貝層は春先のカキ、初夏のハマグリが交互に形成されていて、ムラの一角にできた貝塚ではなく、集落から離れた貝塚で人々が協業して貝の加工を行っていたとみられています。カキの殻を開けたり加工したりするのに使われていた施設とみられる跡も見つかっているのだとか。

カキの養殖の歴史が変わる可能性も

カキの養殖の歴史が変わるかもしれない

カキの養殖の歴史は、古代ローマにはじまったとされているだそうですが、もしもこの名里貝塚でカキを養殖していたとしたら、この歴史が大きくさかのぼることにもなります。そんな歴史をも覆す可能性のある遺跡が東京の中心にあるというのも不思議な事実。東京の桜の名所でもあるおすすめの飛鳥山公園内の北区飛鳥山博物館で展示されています。

大森貝塚から足を伸ばす東京の貝塚4:居木橋遺跡

居木橋遺跡も大森貝塚と同じ品川区にある

居木橋(いるきばし)遺跡は、縄文時代前期の貝塚を中心に、近世、近代までの遺物なども見つかった遺跡で、品川区大崎2丁目あたりにありました。居木神社の南の方に位置します。このあたりは、目黒台と呼ばれる台地の先端部にあって、目黒川に向かって傾斜しています。

竪穴住居跡も確認

シカやイノシシといった動物の骨も見つかっている

この居木橋遺跡には、縄文時代前期の貝塚のほか、竪穴住居跡も確認されています。貝塚からは、シカやイノシシなどの獣骨のほか、ウミガメなどのは虫類や魚類の骨なども出土されています。貝類でとくに多いのがハマグリとハイガイで、ハイガイは現在では九州以南の海でしか採取できないことから、当時は現在よりも暖かかったことが予想されます。

縄文人の生活の一部も

石器類などから当時の人々の生活が想像される

また、縄文土器の破片のほか、打製石器、磨製石器、石製の装飾品など、数多くの石器類も出土されています。居木橋遺跡の出土品の一部は、品川区の品川歴史館でも展示されています。この居木橋遺跡と合わせて見学すると、縄文人たちが生きてきた悠久の時間の流れを実感することができるかもしれません。

大森貝塚遺跡庭園からはじまる東京再発見の旅へ出よう

東京再発見の旅へ出よう

大森貝塚は日本史の教科書に必ず出てくる有名な貝塚です。でも、実際に訪れたことのある方は少ないかもしれません。東京の各所に貝塚があり、そんなことに気づかずに毎日を過ごしていることも多いはず。そんな日常からちょっと立ち止まって、これまで見たことがなかった東京の顔を見てみる旅。大人の旅としておすすめです。

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この記事のライター
水木まこ

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