『トンブクトゥ』は砂漠にそびえる世界遺産!場所・気候・見所は?

トンブクトゥは西アフリカのマリ共和国にある町で、黄金郷とも呼ばれた町は今は砂の町と呼ばれる世界遺産です。魅力的な建造物を含め町全部が世界遺産になっていますが、いつ砂に消えてもおかしくない状況でもあります。そのトンブクトゥについてお伝えします。

『トンブクトゥ』は砂漠にそびえる世界遺産!場所・気候・見所は?のイメージ

目次

  1. 砂漠の黄金郷トンブクトゥ
  2. トンブクトゥの場所
  3. トンブクトゥの起源
  4. 黄金の都市トンブクトゥ
  5. トンブクトゥの黄金伝説は19世紀まで
  6. イスラム文化のトンブクトゥ
  7. マリ初の世界遺産トンブクトゥ
  8. マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ1:ジンガリベリ・モスク
  9. マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ2:サンコーレ・モスク
  10. マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ3:シディ・ヤヒヤ・モスク
  11. マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ4:施設
  12. マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ5:中心部
  13. マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ6:街並み
  14. トンブクトゥの周辺の見どころ
  15. トンブクトゥの気候
  16. トンブクトゥの平均的な気候
  17. トンブクトゥの最適な時期
  18. トンブクトゥへのアクセス
  19. 拠点におすすめモプティ
  20. 双子の姉妹都市ジェンネ
  21. 消えそうな世界遺産
  22. 危機的世界遺産のトンブクトゥ
  23. 今現在のトンブクトゥ
  24. トンブクトゥへ行ける日を待ちましょう

砂漠の黄金郷トンブクトゥ

トンブクトゥはマリ共和国のニジェール川の中流域にある都市で西欧では黄金郷と知られ、様々な伝説が生まれた都市でしたが、今では貧しい砂の町とも呼ばれています。歴史的にも価値ある建造物や書物もあり、世界遺産としても魅力的なトンブクトゥは旅行者の間でも知らない人はいないほど有名です。そのトンブクトゥの魅力をお伝えします。

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トンブクトゥの場所

トンブクトゥの場所は西アフリカのマリ共和国にある大河ニジェール川の中流域で川が湾曲している場所にある街です。サハラ砂漠の遊牧民であるトゥアレグ簇が作った街で、地中海沿岸の商人とアフリカ内部の商人が商品と文化を交換していた交易の場所で、ムスリムの商人とベルベル人の商人が交易する拠点として栄えていました。

トンブクトゥは砂漠にあり、訪れる事も大変難しい場所で、遠い土地や異国といった遠い場所の比喩として使われるほどでしたが、アラブやムスリムの学者達も訪れ学問の研究も盛んで100以上の学校やモスクが造られていて、西アフリカでは塩は北から、黄金は南から、神の言葉と智恵の宝はトンブクトゥと言われるほど宗教と学問の都市でありました。

トンブクトゥの起源

トンブクトゥはサハラ砂漠の遊牧民のトゥアレグ族のある特定の時期だけ現れる、期間限定の野営地だったのがトンブクトゥの起源になります。当時はある時期だけトゥアレグ族がこの場所に来て塩や金、象牙などの交易品が行き来する場所でサハラ砂漠の中で重要な中継地でした。その野営地を大きくしたのが、この地で興隆した国でした。

ガーナ王国やマリ帝国、ソンガイ帝国が、このトゥアレグ族の大きくなった野営地を更に大きくし、莫大な富が集まる大きな重要都市と発展させました。そしてベルベル人の商人やムスリムの商人達のサハラ砂漠においての交易の拠点となり間接的にヨーロッパの商人とも繋がりを持ったことで黄金伝説がヨーロッパに伝わるようになりました。

黄金の都市トンブクトゥ

トンブクトゥは砂漠地帯の中で重要な交易拠点として成長し、ガーナ王国やマリ帝国、ソンガイ帝国を通じ莫大な富が集まるようになりました。人口が増えるにつれ砂漠地帯にあるオアシスにあったトンブクトゥでは食料等を揃えるのも大変だったのでトンブクトゥの背後にはトンブクトゥに物資を供給する街ができ、その街も発展していきました。

そして14世紀には200kgの黄金が使われたと言われるジンガリベリ・モスクが建てられたり、6万人の人々一人一人に3kgずつの黄金を持たせてメッカの巡礼をするなど、マリ帝国のムーサ皇帝のしたことでトンブクトゥの黄金伝説は砂漠を越えてヨーロッパまで広まり、砂漠の向こうにある黄金都市トンブクトゥに誰もが憧れていました。

トンブクトゥの黄金伝説は19世紀まで

黄金の都としてのトンブクトゥの伝説は、トンブクトゥの繁栄が絶頂期だった16世紀までで、ヨーロッパの商人が陸路ではなく海路を開拓し交易を始めると砂漠の遠い場所にあるトンブクトゥはあっという間に衰退していきました。しかしトンブクトゥの砂漠の黄金伝説だけは19世紀までヨーロッパには語り継がれていました。

1828年、トンブクトゥの伝説を信じ、砂漠の果てのトンブクトゥにたどり着いたルネ・カイエが見たのは、黄金ではなく砂で覆われたトンブクトゥでした。ガイドや旅行者達が口をそろえ、トンブクトゥに行っても何もないと言われながらも伝説を信じてたのですが街は酷い貧困で中心から外れると人の気配も声も聞こえない静寂の街となっていました。

イスラム文化のトンブクトゥ

15世紀になるとトンブクトゥにイスラム文化が開花しました。トンブクトゥには100を超える学校ができ、アラブやムスリムの学者達もトンブクトゥを往来するようになると、更に学問や研究が盛んになりました。当時建てられた建造物は今も残り、サハラ砂漠において重要な交易地でした。その文化が評価されトンブクトゥは世界遺産に登録されました。

当時建てられたサンコーレ・モスクは大学で、ジンガリベリー・モスクはトンブクトゥでも屈指の学問所でイスラム神学の学問所でした。そして建物自体はワラと泥で出来ていて表面は黄金で包まれ、作るのに人件費や材料費で200kgの黄金が使われたそうです。サンコーレ・モスクは最初で最古の黒人による黒人のための大学として知られています。

マリ初の世界遺産トンブクトゥ

トンブクトゥは1988年にマリで初の世界遺産に登録されました。地中海沿岸とアフリカ内陸部の商人が行き交う交易の場所として栄え、アフリカの文化とヨーロッパの文化を含む地中海の文化が合わさり、トンブクトゥ独自の文化と歴史が出来ました。当時の建物や書物は歴史的にも貴重で、酷い貧困と砂漠化の危険性もあり世界遺産に登録されました。

2012年トンブクトゥは1度武装勢力の手によりジンガリベリ・モスクなど15箇所を破壊され、放火等あったのですが、ユネスコが修復作業に着手し修復しましたが、1度外された危機遺産リストに再び登録されました。書物も、ほぼ無事で大半はフランスで保管、デジタル化され図書館や博物館でそれらを見ることが出来ます。

マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ1:ジンガリベリ・モスク

マリの世界遺産トンブクトゥで見どころというと、まずはジンガリベリ・モスクです。ジンガリベリ・モスクはトンブクトゥ最古のもので14世紀にマリ帝国の皇帝ムーサによって造られたものです。トゲトゲや高い壁、そして狭い入口で見た目は学校やモスクとは思えない見た目で、何かを守る基地や要塞のような見た目です。

このジンガリベリ・モスクはトンブクトゥではイスラム神学の学問所としてあり、活発な教育活動が行われていました。藁と粘土と日干しレンガで造られたジンガリベリ・モスクは当時は黄金で表面を覆われていたそうです。ここは世界遺産ではあるのですがイスラム教徒のみが一番奥まで入れます。観光客は一部だけが見学を許されています。

マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ2:サンコーレ・モスク

トンブクトゥは西アフリカで最も栄えていた街で、知識の面でも最先端でありました。そのなかでサンコーレ・モスクは細長いピラミッドにトゲのようなものがついた建物で、もともとは大学として、この場所に建てられたのでサンコーレ大学と呼ばれ、トンブクトゥにある大学のなかでも知の殿堂としてありました。

世界最古の大学というと他にありますが、サンコーレ大学は、黒人による黒人のための大学ということでは、世界初で世界最古の大学として知られています。トンブクトゥの繁栄が絶頂期を終え衰退していくと、だんだんとサンコーレ大学は大学としての機能が無くなり、モスクとして次第に使われサンコーレ・モスクと呼ばれるようになりました。

マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ3:シディ・ヤヒヤ・モスク

シディ・ヤヒヤ・モスクは3つのなかでは一番新しいもので1448年に建てられました。外観は1939年に整備されたそうで、16世紀に修復された時のミナレットが旧態を今に伝えています。シディ・ヤヒヤ・モスクには伝説があり、世界の終わりまで開かないと伝えられ、数百年開けられていなかった聖なる扉がありました。

2012年、この聖なる扉は過激派武装組織のアンサール・ディーンにより、この扉が偶像崇拝なのでハラムとして破壊すると宣言し遺跡をツルハシやクワで破壊し、扉の中にイスラム聖人の墓があったのですが、それもまた偶像崇拝だと一部が破壊されました。その後フランス軍の空爆により制圧され、現在はユネスコによりほ元通りに修復されています。

マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ4:施設

トンブクトゥは街すべてが世界遺産になっています。ほかにも平和の炎という記念碑があり、トンブクトゥに平和が訪れた証らしいです。これはトゥアレグ族とアラブ人の反乱が終結したことを記念し1996年に建てられました。しかし、その後武装集団の占領、フランス軍との戦闘があったりと、必ずしもトンブクトゥが平和とは言えないです。

その他に、資料館では豚の皮を使ってトウモロコシを入れる袋にしていたり、井戸の水を汲み上げるための重い入れ物など当時の生活が再現されてます。今は広場ですが初めて大学が造られた場所や当時の書物もある図書館は見どころのひとつです。またヨーロッパ人が来て滞在した建物などあったり、街を歩くだけでも見どころは沢山あります。

マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ5:中心部

トンブクトゥの見どころはモスクだけでなく、街並みはもちろん、住居等も見どころのひとつです。トンブクトゥの女性たちは、カラフルな衣装を着ていて、中心部は数えきれないほどの店がひしめき合い、人がすれ違うのも大変なほどで、活気があり賑やかな通りは見どころです。周りから見ると、砂と同化しそうな街の静かな印象とは全く違います。

中心部では女性が着ている衣装のカラフルな生地や野菜や果実など色々なものが売られて、大変賑やかです。そして、おそらく荷物を運ぶためでしょう、ロバが沢山いたりと、トンブクトゥの別の顔も見れる場所で、トンブクトゥの見どころのひとつです。そして人工的な池のような場所もあって水を汲んだり洗濯をしている様子を見れます。

マリの世界遺産トンブクトゥの見どころ6:街並み

トンブクトゥの中心部は大変賑やかで活気のある通りではあるのですが、中心部から少し離れると、人の声はもちろん、気配も無くなり、大変静かな街になります。所々に定住しているトゥアレグ族のテントがあります。そして建物には立派な扉があり、ドアをノックする部分が2ヶ所あり、家の住民は鉄の輪を叩き、客人は小さな丸い場所を叩きます。

これはイスラムの女性は出迎えの装いを家族と客人で変えなければいけないため、音で誰が来たかわかるようになっています。他に昔は女性は12歳になると家に閉じ込められ結婚するまで外に出てはいけなかったそうで、小さな木の枠から外を眺めていたそうで、当時の枠が今も家の窓についていたりと昔の習慣の跡も見どころのひとつです。

トンブクトゥの周辺の見どころ

塩商人のキャラバン

世界遺産のトンブクトゥから一歩出ると回りは一面砂漠で、なにも無く、ただ砂漠が広がっているだけです。乾季には古くから続いている岩塩を積んだラクダやロバのキャラバンがいて、そのキャラバンが砂漠を渡る様子を見ることできます。実際に見るには四駆の車とドライバー、ガイドを雇わないと行けません。

基本的にトンブクトゥやその周辺では、ほぼツアーというのは存在しないので自分で手配しなければいけないので、トンブクトゥのホテルで相談し手配するか、トンブクトゥ観光をするうえで拠点とする事が多いモプティという街で手配するしかありません。トゥアレグ族のキャンプを見れたり、民芸品店に行ったり色々行けたりするそうです。

トンブクトゥの気候

降雨量

世界遺産のトンブクトゥのある場所は、サハラ砂漠ですが、雨季と、ほぼ雨が降らない時期があります。一年のうちで雨季と言われる時期が6月18日から9月30日までで、そのなかで7月2日から9月16日は降水がより多い時期になります。それ以外の期間は、平均合計累積降雨量が0mmなにで、ほぼ雨は降らないです。

湿度

昼間と夜間で気温は大きく変化しますが、湿度はあまり変わりません。湿度の高い日は夜はもっと湿度があるように感じます。湿度の高い時期は6月11日から10月9日で、そのなかで一番湿度の高い日は8月13日です。逆に一番乾燥している時期は1月16日です。降水がない9月16日から6月までは、ほぼ乾燥しています。

トンブクトゥの平均的な気候

トンブクトゥの平均的な気候ですが、年間を通して乾燥状態が続きます。夏は気温がかなりあがり、うだるような暑さになり、短い冬は風が強いですが快適な気温です。暑い時期は4月から7月で平均最高気温は39℃を超え最も暑い日は42℃で最低気温は28℃になります。涼しい時期は12月から2月で平均最高気温30℃未満で過ごしやすい気候です。

1年で最も寒い時は1月で、平均最高気温は28℃で最低気温は14℃になり、日本からみると風が強いですが、気候的には過ごしやすい気候になります。風は1月が一番強く5月から11月が穏やかですが平均すると風速11,9キロメートルです。1年を通して気候的に蒸し暑いというのはそれほどなく、気候的には過ごしやすいかもしれません。

トンブクトゥの最適な時期

トンブクトゥの気候は砂漠地帯というのもあり乾燥してる時期が多いですが、雨が降りやすい時期もあります。それほど雨が降らないと言っても不安定な気候ではあるので、トンブクトゥへ行こうとしても手配した車やドライバーが必ず来るという保証はありません。時間通りに来ない、または来ないので新しく手配するというのも普通にあります。

トンブクトゥの気候も安定していて過ごしやすい気温の時期は12月上旬から2月下旬が良いとされています。比較的この時期はトンブクトゥへ訪れる旅人も多くはないですが、いるそうで、車の手配なども比較的スムーズに手配してる方が多いです。モプティから日帰りというのは往復車の移動では難しいので、宿泊の手配も忘れないでください。

トンブクトゥへのアクセス

トンブクトゥへ行くにはマリ共和国第二の都市のモプティに行き、モプティを拠点としてトンブクトゥに行くと良いです。ほとんどの旅人はマリ国内の旅はモプティを拠点とし、トンブクトゥへ行く時も同じです。マリの首都バスコからはトンブクトゥへ行くには四駆の車で約半日です。他にバスか船でモプティまで行き、モプティから車で行きます。

車ではモプティから2時間程行くとドゥエンザという街があり、その街から更に荒れた道を約3時間ほど行くとトンブクトゥに着きます。ニジェール川の船を使う場合はトンブクトゥから15kmほど港まであるので、ほとんどの人は車で行きます。飛行機も以前はありましたが今は運行していないので車か船で行くしかないです。

拠点におすすめモプティ

トンブクトゥへ訪れる旅人が拠点とする街モプティは、ニジェール川とバニ川の合流する場所にあります。港の北にあるニュータウンとメディナコウラ、南にあるオールドタウンの3つの島にあって、アフリカのヴェネツアとも呼ばれる街です。陸路、空路、水路と全ての交通の要衝であって物資などの集散地点の街です。

近年、マリ国内にある世界遺産を訪れる人々の中継地として旅行者が多くなってきている街ですが、インフラは、まだまだ整っていないため宿泊施設のキャパシティも、まだ小さいです。そして、このモプティにはトンブクトゥと同時にマリで初の世界遺産になり、世界最大の泥のモスクがあるジェンネがあります。

双子の姉妹都市ジェンネ

ジェンネとは水の精霊という意味でバニ川に造られた街です。定住民と遊牧民の橋渡しの街でサハラ砂漠交易の要衝でした。トンブクトゥとは川沿いに約500kmほど離れていますが双子の姉妹と呼ばれていました。ジェンネの街はトンブクトゥ同様泥で出来た建物が多く、世界遺産にもなっている最大で巨大な泥の建物はジェンネの象徴であります。

気候もトンブクトゥとはそれほど変わらないのでジェンネも建物はひび割れが酷く、雨季が来るまえにモスクも家も泥を塗り直します。しかし、気候の関係もあり塗り直すと言っても、そのひび割れは年々悪くもなっていて、世界最大の泥のモスクとして有名ではありますが100年後には無くなっているとも言われています。

消えそうな世界遺産

トンブクトゥもジェンネの泥のモスクも砂漠地帯という場所とその気候からいつ消えて沙漠と同化してもおかしくない状況ではあります。ジェンネに限っては世界遺産となり保護しなければいけないのですが、セメントの家が増えていて、ジェンネの町並みが変わってきています。トンブクトゥにはセメントの建物はないです。

しかし、砂漠の気候や場所等、自然の力を食い止めるのは難しいうえに、トンブクトゥはジェンネよりも早く、いつ砂漠と同じようになってもおかしくない状況です。一番の見どころでもあるモスクも、なんとか維持している状況で、危機遺産リストに登録されていても何も出来ていないのが現実です。

危機的世界遺産のトンブクトゥ

早い時期に世界遺産に登録されたトンブクトゥですが、粘土と日干レンガの家々や歴史的価値があるとは言え、残っているモスクは3つ、砂漠地帯の気候もあり、いつ砂に埋もれてもおかしくない状況であるのはたしかです。世界遺産登録時はパリ・ダカール・ラリーのルートで通るというのもあり知名度はあがり一時は人気の観光スポットになりました。

しかし、数年前に外国人誘拐殺人事件がおき、一気に観光客は激減し、その後武装集団の占領があったりと治安の面でも大変危険な状況になりました。今もマリ共和国内では、民族解放を訴える武装勢力とフランスの間で戦闘があります。そのため外務省からいかなる場合でも渡航禁止でトンブクトゥの場所は退避勧告が発令されています。

今現在のトンブクトゥ

かつては黄金都市と栄えたトンブクトゥも今はすっかりと変わり、残された建造物と文化や書物等が世界遺産に登録されています。世界遺産に登録された事やパリ・ダカール・ラリーの通過する街として知名度は上がっています。しかし都市としては衰退したままで都市としては危機的状況です。

政治や経済も安定には程遠いのが現状で水や電気さえも不安定です。武装集団に占領された時は武装集団の自家発電気で電気や水の供給がありましたが、フランス軍がトンブクトゥを奪還した時に、電気や水の供給は止まってしまい、観光客が来ても大勢来ると設備がないので受け入れるだけの余裕が無いのが現状です。

トンブクトゥへ行ける日を待ちましょう

トンブクトゥのある場所は、まだ退避勧告が解除はされていません。もちろん渡航禁止も解除はされていなくてトンブクトゥへ行くことは出来ません。再びトンブクトゥに平和が訪れるのを待ちましょう。そしてその時、モスクや他の建物が砂に消えずにあるのを祈り、今は、トンブクトゥへ行ける日が一日でも早く来ることを待ちましょう。