二本松城跡・歴史資料館で巡る戊辰戦争の記憶!駐車場やスタンプの時間は?

福島県にある二本松城は日本100名城の1つに数えられ、その城跡は国の史跡に指定されています。明治維新前後の戊辰戦争の舞台になり、史跡も多く残る二本松城について、戊辰戦争の理解が深まる歴史資料館や駐車場、スタンプ情報とともにまとめました。

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目次

  1. 戊辰戦争の記憶をとどめる二本松城跡!
  2. 二本松城とはどんなお城?
  3. 二本松城へのアクセスと駐車場
  4. 同じ場所に存続する二本松城の歴史
  5. 二本松城の構造はどうなっている?
  6. 二本松城の天守閣は?
  7. 二本松城跡には見所がいっぱい
  8. 二本松城跡は美しい霞ヶ城公園
  9. 戊辰戦争とはどんな戦争?
  10. 戊辰戦争:白河口の戦い
  11. 戊辰戦争:二本松の戦い
  12. 二本松少年隊の秘話と群像
  13. 歴史資料館で二本松城の歴史を知る
  14. 二本松城のスタンプ情報
  15. 戊辰戦争の記憶が残る二本松城跡へ行こう!

戊辰戦争の記憶をとどめる二本松城跡!

戊辰戦争の舞台にもなった福島県の二本松城は、日本100名城の1つで、その城跡は国の史跡に指定されています。天守閣のあった天守台が復元された本丸跡や箕輪門などを含む広大な城跡は霞ヶ城公園になっており、史跡が多く残っています。この二本松城や戊辰戦争について、歴史資料館や二本松城の駐車場、スタンプ情報も合わせて紹介します。

二本松城とはどんなお城?

potjpさんの投稿
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二本松城は福島県二本松市の市街地北部にあり、標高345mの白旗が峰に築かれた梯郭式の平山城です。梯郭式とは、本丸を中心には置かずに偏らせ、二の丸などをそれに沿って配置したお城です。別名「白旗城」「霞ヶ城」とも呼ばれます。江戸時代には二本松藩主丹羽氏の居城となりましたが、戊辰戦争で新政府軍に攻められ落城して焼失しました。

kabemameさんの投稿
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1982年に箕輪門や二階櫓、多門櫓が復元され、その後1993年からは本丸の修復、復元が行われた結果、天守閣こそ復元されていませんが、本丸石垣や天守台は整備され、2007年には国の史跡に指定されています。二本松城跡は城跡全体が霞ヶ城公園となっており、日本100名城の1つに数えられるため、スタンプの押印でも人気があります。

二本松城へのアクセスと駐車場

harula_lymphさんの投稿
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JR東北本線二本松駅から、途中坂道を含め徒歩約20分の所要で、途中に歴史資料館があります。二本松駅には観光協会の駅案内所があり、霞ヶ城公園内マップが掲載されたパンフレットを入手できます。この観光協会の駅案内所には、二本松城スタンプが置いてありますので、スタンプラリーに参加している方はをここで忘れずに押しておきましょう。

black40d4さんの投稿
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車を利用の場合は、東京方面から約3時間、仙台方面から約1時間の東北自動車道二本松ICが最寄りのICになります。二本松城のある霞ヶ城公園には無料駐車場が完備されていますが、メインの入口となる箕輪門周辺に駐車場が複数個所あり、収容台数も多くなっています。また、本丸周辺にも駐車場が複数あり、天守台のみの見学にはこちらが便利です。

同じ場所に存続する二本松城の歴史

rcf0510さんの投稿
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二本松城の歴史は古く、築城は室町時代の応永21年(1414)に畠山4代の畠山満泰が築城したと言われています。天正14年(1586)に伊達政宗により畠山氏が滅ぼされた後は、豊臣秀吉によって会津領に組み入れられ、蒲生、上杉の支城として城代が置かれました。その後、松下、加藤氏を経て、寛永20年(1643)に丹羽光重が入城することになります。

skyagyaさんの投稿
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白河から入城した丹羽光重は、城内の石垣などの修復や天守閣の構築を行うとともに城下町を整備しました。以後、二本松藩の丹羽氏の居城として明治維新に至ります。中世から近世にかけて奥州の要地として重要な位置を占めた二本松城、東北地方では、同じ場所で中世以降の戦国時代を経て、長期間にわたり存続した貴重な城跡なのです。

ino_daisuke1114さんの投稿
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中世から近世へと同じ場所で存続した二本松城ですが、明治維新の戊辰戦争においては、新政府軍による攻撃を受けて落城し、天守閣を含めて多くの構築物が焼失します。しかし、その城跡の重要性から国の史跡指定を受けています。お城の歴史は歴史資料館でも展示しており、二本松駅からお城への途中にある歴史資料館に先に寄るのもおすすめです。

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二本松城の構造はどうなっている?

hykkkstiさんの投稿
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二本松城は構造的には梯郭式の平山城です。平山城とは平野の中にある山や丘陵などに築城されたお城で、二本松城の場合は、小高い白旗が峰に築城されています。山の頂上に本丸が置かれており、ここに天守閣が造られました。本丸と平地の高低差は約120mで、本丸から東と南の方向に伸びる尾根に二の丸や三の丸が配置されています。

yukkuri33さんの投稿
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本丸のすぐ下には大石垣が組まれますが、現在の石垣は修復されたものです。山麓の裏門に築かれた石垣は、今でも門台の部分が残っています。寛永20年に入城した丹羽光重は城の南側に東西に伸びる丘陵を城域に取り込んで切通しを開きました。外部から城に侵入するためには、丘陵と切通しを越えなければならない構造になっているのです。

二本松城の天守閣は?

doyouknow2017さんの投稿
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寛永20年に入城した丹羽光重は、城の南側の丘陵を城域に取り込むなどの大改修を行い、城域を大きく広げますが、それは二本松藩の藩庁としての偉容を備えるためであったと言われています。この大改修の際に、本丸に石垣が積まれ、3重の天守閣が築かれたました。以後、明治維新まで丹羽氏の居城として、この天守閣も威容を誇っていたのです。

itowokashi57577さんの投稿
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ここ本丸跡の天守台に登ると、晴れた日には、安達太良連峰がきれいに見えます。城の入口から天守まで登ってくるので大変ですが、城主も眺めていたであろう、この素晴らしい景観を見れば、疲れも忘れてしまいます。天守閣のあった本丸跡の石垣は見事ですが、現在のものは修復されたものです。なお、本丸近くにも駐車場があるので利用できます。

二本松城跡には見所がいっぱい

skyagyaさんの投稿
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丹羽光重は、霞ヶ城の大改修で天守閣構築に合わせて門の建設も行いました。材料となる樫の木を領内全域から集めて完成させ、箕輪門と名付けました。180度も折れ曲がる通路で二の丸へつながっています。石垣とともに十万石大名の威容を示していたこの箕輪門は戊辰戦争によって焼失しましたが、再建の声が高まる中、1982年にに再建されました。

yayoi_158さんの投稿
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天守閣の真下にあった石垣は、遠くからもその威容を誇っていましたが、近くから見上げるとその造りの見事さがわかりました。その石垣は安土城の石垣を積んだ穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる、優れた石工集団によって積まれたのでした。現在の石段は、その同じ集団の末裔によって積み直されて再建されたもので、その見事さを伝えています。

itowokashi57577さんの投稿
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城跡には日本三井戸の一つである「日影の井戸」があります。造られたのは畠山氏築城の頃の応永年間(1400年頃)と言われており、そのまま残っている貴重な遺跡です。井戸の深さは16mと深く、井戸の岩盤をえぐって、さらに北に14mに達しています。この形状に関しては、最初に築城した畠山公が城からの脱出路にしたという説が残っています。

二本松城跡は美しい霞ヶ城公園

muchchimさんの投稿
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非常に広い城跡を持つ二本松城は城跡全体が霞ヶ城公園として整備され、駐車場も完備されています。入園は無料なので、いつでも自由に散策することができます。園内には多くの木々があり、春には1700本の桜が咲き誇る桜の名所で、日本さくら名所100選にも選ばれています。お城とのマッチングは素晴らしい景観で、お花見客で賑わいます。

hiirooyaaaaさんの投稿
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霞ヶ城公園は、桜以外にも見所いっぱいで、桜のあとは藤棚に見事な藤の花が咲き誇ります。さらに、紫陽花の季節や秋の紅葉も見事な景観を見せてくれます。元々水の多かったこの城跡では、その丘陵の地形も関係して、多くの滝が見られます。自然豊かで美しい霞ヶ城公園は、複数の駐車場があり城跡の見学と合わせて利用できます。

住所:福島県二本松市郭内3丁目232
電話番号:0243-23-1111

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戊辰戦争とはどんな戦争?

sanadaryuumaさんの投稿
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戊辰戦争とは1868年~1869年にかけて、王政復古にともなって明治政府を樹立した薩摩、長州や土佐藩を主体とした新政府軍と、それに対抗する旧幕府勢力や奥州越列藩同盟が戦った明治維新期の内戦です。この戦争は大きく三つの時期に分かれ、天皇政府と徳川政府が将来の政権を争った初期の段階に起こったのが鳥羽・伏見の戦いです。

kittebakaさんの投稿
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その後、江戸城無血開城で勢いづく官軍としての新政府軍と、地方政権の奥州越列藩同盟との戦争である東北戦争が起こり、これが戊辰戦争の第2期とされます。この東北戦争では、奥州越列藩同盟の各藩が新政府軍と戦うことになりますが、庄内戦争、秋田戦争、白河口の戦いや二本松の戦い、そして白虎隊の悲劇があった会津戦争が含まれます。

ryota0928yさんの投稿
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戊辰戦争の最後の時期に当たるのが、ほぼ勝利を決定づけた新政府軍に最後の抵抗を試み、その後の新政府に対する士族の反乱の先駆的役割を果たした戦いです。榎本武揚ら旧幕府海軍を主体とする勢力が、五稜郭を本拠地に新政府軍と戦った函館戦争がこれに当たります。戊辰戦争で敗れた諸藩には処分が下り、二本松藩は5万石の減封となります。

戊辰戦争:白河口の戦い

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関東地方と東北地方の結節点である白河は戦略上も最重要な地点で、この場所をめぐる激しい攻防戦が、戊辰戦争における白河口の戦いで、戊辰戦争の戦況に大きな影響を与えた戦いです。列藩同盟軍は新政府軍の手にあった白河城を奪還し、東北戦争が始まります。しかし、兵力は少ないものの新兵器を使った新政府軍がすぐに奪還し返します。

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白河口の戦いの結果、白河城を列藩同盟軍の攻撃から守り切った新政府軍は、本宮へと進軍して、ここも新政府軍の手に落ちます。白河口の戦いには列藩同盟の諸藩から多くの援軍が派遣されますが、その中には二本松藩からの援軍もありました。結果的には、この援軍で手薄になっていた二本松城が二本松の戦いで簡単に落城することになったのです。

戊辰戦争:二本松の戦い

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二本松の戦いは、戊辰戦争において奥州越列藩同盟に加わっていた二本松藩が、二本松城をめぐって新政府軍と戦った戦いです。二本松は奥羽街道の要衝に位置する場所で、新政府軍も重要視していました。近くの本宮を手にして勢いづく新政府軍は、続いて二本松城を攻め落としにかかり、2隊に分かれて2方向から二本松城へ侵攻していきます。

nabe_hk_4さんの投稿
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二本松藩は会津藩や仙台藩の援軍を期待しますが、途中の道を新政府軍に押さえられて援軍はかなわず、二本松城は新政府軍に攻め落とされます。二本松藩は家老以下18名の上級武士が全て自刃を含め戦死し、藩全体での死者は218名にも及び、その中には12歳から17歳までの少年兵士も含まれていました。この戦いで二本松城天守閣も焼失します。

二本松少年隊の秘話と群像

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戊辰戦争と言えば会津白虎隊の悲劇が有名ですが、この二本松でも戊辰戦争の悲劇がありました。年齢的には、この二本松の少年隊の方が低い歳の少年を含んでいます。戦争への出陣は12歳~13歳では不可能でしたが、二本松藩では緊急時には年齢を2歳加算する「入れ年」という独自の制度があり、最少年齢12歳の少年が14歳として出陣したのです。

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白河城へ正規軍が援軍として出兵したため、二本松の戦いにおいては、城を守っていたのは老人兵と少年隊が主力でした。それでも城を守ろうとしたのが少年達なのです。それが二本松城少年隊の悲劇に繋がりました。新政府軍もあまりに幼い少年がいるのに驚き、生け捕りにしようとするも、果敢な抵抗に止む無く討ち取ったという記録が残っています。

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二本松城郭の入口には、この二本松少年隊の群像があります。よく見ると、戦いに臨む少年隊の群像の一番右側に、自分の子供のために出陣の着物を縫う姿をした母親の像があります。二本松城を守ろうと必死に戦った少年達は、全て自刃や戦死で命を落としていったのです。その時の母親の心情を思うと、本当に心打たれる悲劇なのです。

歴史資料館で二本松城の歴史を知る

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二本松市歴史資料館は、二本松駅から二本松城へ行く途中にあり、駅から徒歩約10分です。1階は美術館で、2階が中世から近世にかけての二本松城に関する本来の歴史資料館です。二本松城のスタンプも設置されているので、お城へ行く前にこの歴史資料館に寄っていくのがおすすめです。駐車場は2台収容と狭く、近隣に市営駐車場があります。

住所:福島県二本松市本町1-102
電話番号:0243-23-3910

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二本松城のスタンプ情報

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日本城郭協会が選定した日本100名城は、スタンプラリーが実施されており、スタンプ帳は日本100名城公式ガイドブックに付いています。北から順に各お城の番号が付され、二本松城は11番です。二本松城のスタンプ設置場所は、二本松市歴史資料館受付窓口とJR二本松駅構内観光案内所になっており、二本松城跡にはないので注意が必要です。

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戊辰戦争の記憶が残る二本松城跡へ行こう!

日本100名城の1つで、その城跡が国の史跡に指定されている福島県の二本松城は、戊辰戦争の舞台にもなった所ですが、記憶に残してほしい二本松少年隊の悲しい秘話もあります。城跡の霞ヶ城公園は、桜、藤、紅葉の美しい公園でもあります。駐車場、スタンプ情報も参考に、歴史資料館も合わせて、ぜひ二本松城跡の散策にお出かけ下さい。

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