広島城の歴史や天守閣など見どころは?駐車場やアクセス・所要時間も調査!

広島城は毛利輝元によって築かれた太田川河口のデルタ地帯にある平城です。江戸時代初期には完成した広島城は原子爆弾が落ちるまで、城郭の幾つかは現存していたのですが、全て焼き払われ、戦後1958年(昭和33年)以降に復元された広島城の歴史や見どころをご紹介します。

広島城の歴史や天守閣など見どころは?駐車場やアクセス・所要時間も調査!のイメージ

目次

  1. 広島城の見どころの前に
  2. 広島城の見どころ1:歴史
  3. 広島城の見どころ2:天守閣
  4. 広島城の見どころ3:二の丸(にのまる)の謎
  5. 広島城の見どころ4:南小天守跡(みなみこてんしゅあと)と東小天守跡
  6. 広島城の見どころ5:旧天守閣の礎石
  7. 広島城の見どころ6:石垣
  8. 広島城の見どころ7:本丸・上段
  9. 広島城の見どころ8:広島大本営跡
  10. 広島城の見どころ9:被爆樹木
  11. 広島城の見どころ10:裏御門跡
  12. 広島城の見どころ11:昭憲皇太后御座所跡
  13. 広島城の見どころ12:本丸・下段
  14. 広島城の見どころ13:中御門跡
  15. 広島城の見どころ14:中国・軍管区司令部・防空作戦室跡
  16. 広島城の見どころ15:遊覧船で観光
  17. 広島城の見どころ16:表御門
  18. 広島城の見どころ17:御門橋
  19. 広島城の見どころ18:平櫓(ひらやぐら)
  20. 広島城の見どころ19:多門櫓(たもんやぐら)
  21. 広島城の見どころ20:太鼓櫓(たいこやぐら)
  22. 広島城の見どころ21:駐車場
  23. 広島城の見どころ22:アクセス
  24. 広島城を見に行こう

広島城の見どころの前に

広島城は名古屋城、岡山城と共に日本三大平城に挙げられ又、日本百名城の一つにも選ばれていて、別名鯉城(りじょう)とも言います。広島城のお堀や石垣、礎石のみを残して消え去った広島県民のシンボルである広島城の辿った歴史や現在の広島城の見どころ、観光スポット、駐車場情報などを詳しくご紹介いたします。

広島城の見どころ1:歴史

毛利輝元は広島市内を流れる太田川の下流地域に広がる三角州に、城下町の形成を考え始めた頃、大坂城や聚楽第を見学して、平野部に広がる三角州に商人や物資の行き交う、繁栄した城下町を持つ、近代城郭の築城を決意します。時に1589年(天正17年)、構造は大坂城、設計は聚楽第をモデルに築城が始まります。

大坂城の設計を担当した豊臣秀吉の家臣である黒田官兵衛も設計に参加し、平野部にできる良い城だと進言し、反対する家臣もいた中、輝元は率先して工事を推し進めますが、豊臣秀吉も九州名護屋城に行く途中立ち寄り、「要害が悪い。水攻めをされれば、ひとたまりもない。」と言い放ちます。

官兵衛に騙されて怒った輝元でしたが、家臣に慰められたという逸話が残っています。川の中州を埋め立てる島普請(しまぶしん)は難工事を極めましたが、1599年慶長4年全ての工事が完了します。堀は3重、実践的な構えで当時の大坂城と同じくらいの規模を誇っていたといい、歴史に残る関ヶ原の戦いで西軍側に付いた輝元は去ります。

福島正則が1600年慶長5年広島城の城主となり、まだ未完成であった城や城下町の整備に力を注ぎます。滋賀県坂本市に今も残る穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石垣造りの専門グループを呼び寄せ、内堀、中堀、外堀の外郭を整え、広島城と城下を囲み一辺の長さが1キロメートルにも及ぶ巨大な総構えの広島城下が誕生します。

又、西国街道を城下町の南側に付け替えるなどの大規模な城下町作りを推し進めたり、許可なく別の城を建てたり広島城の修理をしたり、とうとう徳川幕府の逆鱗に触れ、福島正則も又、信州に国替えになってしまいます。1619年元和5年から浅野氏が12代250年の間、明治まで広島城にて藩政を引くことになります。

zuomu5250さんの投稿
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広島城は歴史的に度々洪水に見舞われ、その度に工事が行われたことが記録にあり、地震による被害も歴史に残っていて修理に追われたことがわかっています。歴史に残るほどの大々的な干拓事業も行われました。また、浅野家は歴史に名を残す赤穂浪士の主君である浅野内匠頭(たくみのかみ)の本家に当たります。

広島城の見どころ2:天守閣

広島城の天守閣は1945年(昭和20年)に原子爆弾が近くに落ちた影響で、天守閣は吹き飛ばされたとされて来ましたが、実際は、天守閣は爆風で吹き飛ばされたのではなく、天守閣自体の重さで倒壊したことが判っています。現在の天守閣は1958年昭和33年鉄筋コンクリートを基礎に建築され、外観を板張で化粧仕上げをして復元しています。

天守閣は複合連結式望楼型五重五階という大きな天守閣で、総板張りの天守閣の高さは39メートルにも及び日本有数の天守閣であったことが判っています。原子爆弾が落ちるまでは、かなりの数の城郭が残っていて、国宝にも指定され歴史的な価値もありましたが、残念なことに天守閣は倒壊、ほか全てが消失しました。

現在ある天守閣内部は武家文化を中心に紹介する博物館になっていて、歴史上の人物や歴史的な武家文化などを分かり易く説明していて観光スポットになっています。入場料は大人370円、高校生とシニア(65歳以上)180円、中学生以下無料。営業時間は9:00から18:00、12月から2月迄は17:00迄。定休日12月29日から31日迄。

広島城の見どころ3:二の丸(にのまる)の謎

歴史的に見て二の丸は本来、本丸についで重要な施設で、本丸を守るように設置されている場合が多くあります。広島城の二の丸は他の城では出口の役目を持つ馬出(うまだし)の位置にある曲輪(くるわ)です。出撃の際の拠点としての役割もになっていましたが、広島城だけがなぜ二の丸と呼んでいたのか不思議です。

yumi.u.1225さんの投稿
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鍵は重要な施設だという処に行きつくのかも知れません。守備より攻撃に特化している城と理解すれば、防御が悪い城の逆転の発想なのでしょう。現在の広島城の二の丸は表御門(おもてごもん)、平櫓(ひらやぐら)、多門櫓(たもんやぐら)、太鼓櫓(たいこやぐら)が忠実に復元され観光スポットになっています。写真は二の丸の内部です。

広島城の見どころ4:南小天守跡(みなみこてんしゅあと)と東小天守跡

南小天守跡と南廊下跡は明治に入って、取り壊しとなっています。元々、天守閣は5階建ての大天守を中心にして3階建ての南小天守と同じく3階建ての東小天守を廊下でつないだもので、威風堂々とした天守閣の造りは雄大でした。城下町から見上げる姿は天守閣と一体化し、シンボルそのものでした。

広島城の見どころ5:旧天守閣の礎石

建物の柱を乗せる台を礎石といい、旧広島城の天守閣があった場所に残っていた礎石を、再現工事を始める前に、この地に残っていたのと同じように移設したものです。この礎石には2種類の高さがあり、低い礎石は今も広島城の礎石として働いている石の位置を示しています。

広島城の見どころ6:石垣

広島城には石垣の積み方が主によって異なっており、その時代の石垣の積み方の技術的な進歩が伺えます。毛利輝元時代は海に転がっている石を適当に積んだ野面積み(のづら)、福島正則時代は穴太衆によるプロ集団の打ち込みハギという積み方、石垣にスポットを当てると広島城が一層、面白くなってきます。

コラボレーションの石垣

洪水で壊れた石垣を福島正則が修復している石垣があります。使える石垣は残して手を加えている石垣で、ここが無断で修復した箇所だと言われています。隅の積み方が算木積みという長辺が短辺の3倍ある石の積み方でない毛利時代の積み方の石垣に手を入れ、4段目以上の石垣の隅は算木積みで修理した箇所があるのです。

鏡石(かがみいし)

毛利時代の石垣で広島城で一番大きな鏡石を使って石垣が造られています。本丸につづく重要な門なので大きな鏡石を使ったのでしょう。広島城に入って行くと正面に見えるので見る者を威圧します。表御門にも鏡石が見られますが、それよりも大きい鏡石を使っています。中御門の手前、本丸に入るところに見られます。

北側と西側の石垣に残る謎の刻印

mkynga507さんの投稿
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北側と西側にある石垣は、福島正則が藩主のときに築かれた石垣と考えられ、石垣には様々な刻印が施されています。刻印は39種類200個あります。何のために誰が刻印したかは判っていないのですが、この刻印もノミと金槌で一打ち一打ち削り取られたものであることは間違いありません。担当した穴太衆の職人の名前ではないでしょうか。

と考えられないものでしょうか。後から誰が石を削って、組み立てたかが判れば、責任の所在も分かるというものです。それほど職人としての誇りがあって、石垣を積む技術が特出していたのではと考えれば、説明できないことではないと推察できます。石垣を積む技術は今も尚、綿々と受け継がれています。

崩れかけた石垣

kotomaru_0612さんの投稿
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広島城の主である福島正則が徳川幕府に無断で広島城の修復を行ってとがめられ、腹いせに潰したとされる石垣です。徳川幕府は別の場所の石垣について取り壊す指示を出したとされ、従わなかったとして国替えになって、広島城を去っています。豊臣秀吉の縁戚である外様大名の福島正則の力を削ぐ目的があったのではと推察されます。

桶門(ひもん)

otoshirakawaさんの投稿
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桶門と呼ばれる排水溝で形のデザインは色々であちこちに見られます。水の通り道を造っておけば鉄砲水のようになって石垣が崩れることを防ぐのに役立ちます。石垣を眺めていると見られますので探してみるのも面白い。とゆのように突き出ているような桶門もあり結構、楽しめます。

小天守台南にある隅石

mituryoさんの投稿
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広島城の小天守台南の隅石は長辺3短辺1の割合で組まれている一番、きれいな石垣です。美しいということはそれだけ丈夫ということでもあります。隅石が一直線上にあるように実に見事に積まれています。見ているだけでもう、うっとりしてしまいます。力強さも伝わって来るようです。

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広島城の見どころ7:本丸・上段

天守閣が北西の角にそびえ立ち、中心にある本丸上段には城主の住まいである本丸御殿と役所がありましたが、火事で焼失その後、1877年明治10年に軍隊である広島鎮台司令部の本館が建ちます。後の大本営と呼ばれる軍司令部で旧日本軍の最高責任者である天皇陛下の元に置かれていた最高統帥機関です。

広島城の見どころ8:広島大本営跡

広島大本営の建物は2階建ての洋館で、第5師団司令部の庁舎となり、明治27年から28年の日清戦争で天皇陛下が指揮する機関である大本営の建物になりますが、1945年昭和20年原子爆弾が落とされ消失します。今は建物の基礎となる石や階段が残るのみで、島根・広島・山口の出身者からなる第五師団は旧帝国陸軍の師団の一つ。

広島城の見どころ9:被爆樹木

被爆樹木とは、爆心地から約2キロメートルの範囲にある、原子爆弾が投下されても生き続けている樹木のことを指していて、161本登録されています。原子爆弾調査報告集では爆心地から2キロメートル以内では半分の樹木に被害がありましたが、以上では原子爆弾が落とされても爆風による倒壊がなかったことから以内と規定されています。

クロガネモチ

爆心地から910メートルの距離で原子爆弾を浴びたクロガネモチ。側に建っていた旧大本営の建物は倒壊したにもかかわらず、クロガネモチは生き残っています。161本の被爆樹木があるとされていますが、その4割の樹木に衰弱が見られ、樹木医による調査や診断が施されています。

マルバヤナギ

爆心地から740メートルで被爆した、広島城内にあるマルバヤナギ。幹の中が空洞になりながらも樹木医の手当てを受け、懸命に命をつないでいます。高さ5.5メートル、幹の周囲3.4メートル、樹齢不明です。落葉高木樹。後遺症に苦しめられている被爆者たちを励まし続けた被爆樹木のマルバヤナギです。

ユーカリ

爆心地から北東に750メートルにある旧広島城の二の丸を撮った写真に写り込んでいて、幹だけが残った無残な姿をさらしていました。それから73年たった今、濃い緑の葉を茂らせ、生命力の強さを見せています。爆心地側の南面は黒く焼けただれ、又1971年昭和46年の台風では地上2.5メートル付近で折れました。

しかし、根元より再び芽吹き、その後も何度となく台風による被害を克服しながら、今年も濃い緑の葉を茂らせ、見る者を元気付けています。漫画「はだしのゲン」の作者である故中沢啓治氏はこのユーカリの木をモデルに「ユーカリの木の下で」を書き上げます。曲がりくねった枝はもがき苦しんだ証だと樹木医は言います。

広島城の見どころ10:裏御門跡

akkunn7584さんの投稿
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石垣だけが残っている裏御門の跡は、広島城の東に位置し、別名東御門とも言われていました。石垣の石が大きな石が使われているので、さぞや御門も立派であったのだろうと想像できます。内堀にせり出した場所が櫓があったとされる場所で、内堀の水面に映る樹々の緑と石垣のグレーの色が風に揺れ動いています。

広島城の見どころ11:昭憲皇太后御座所跡

ikumi_sannさんの投稿
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日清戦争のおり広島城内に明治天皇率いる大本営が置かれ、それに伴い妃である昭建皇太后も行啓されて滞在された場所です。積極的にあちこち慰問をされたと記録に残っています。元は1890年明治23年に建てられた第5師団監督部庁舎の建物は1945年昭和20年原子爆弾が落ちて消失しています。今は基礎石だけが残っています。

広島城の見どころ12:本丸・下段

本丸上段の南側の階段を降りて行くと本丸下段には馬場が広がり、江戸時代には馬術の練習がされていた場所で、周囲には土蔵が立ち並んでいました。1896年明治29年には第5師団司令部1号庁舎が建ち、関連施設なども多数ありましたが、原子爆弾が落ち、倒壊もしくは消失しています。

広島城の見どころ13:中御門跡

shinyatsutsumiさんの投稿
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中御門跡に残る石垣は被爆後の猛火で門が焼け落ちた影響で、石垣も燃え変色しています。赤くなっていたりひびが入ってもろくなっている石もありますが、被爆の歴史を物語る証として今も広島城内に残っています。石垣が燃えるほど、いつまでも広島城下は燃えていたのでしょう。

広島城の見どころ14:中国・軍管区司令部・防空作戦室跡

aaty2018さんの投稿
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広島城は近年になり立地上戦略的な意味合いで、幕末には長州征伐のおりその拠点になったり、日清戦争では大本営が置かれたりしました。太平洋戦争時には司令部が置かれ、半地下の防空作戦室なども設けられ、原爆投下時には、全ての通信施設が壊滅状態のとき「広島が全滅です。」との第一報は唯一残った軍の電話からでした。

電話の主は14歳の女学生で空襲警報の連絡業務中に爆心地より500メートル離れた地下壕で被爆します。名は岡ヨシエさん2017年5月19日86歳で亡くなります。後遺症で苦しみながらも、被爆体験を語り継ぐ活動を晩年まで続け歴史的なオバマ大統領の広島訪門時には、罪のない市民がいかに苦しんだか見てもらいたいと訴えました。

広島城の見どころ15:遊覧船で観光

toyozou1210さんの投稿
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広島城のお堀は明治以降、何度となく埋め立てられ戦後も埋め立てによる水の滞留が起こり、悪臭や虫の発生などの問題が出ました。昭和40年代には内堀の浄化も行われましたが、アオコなどが異常発生し魚が死ぬなどを繰り返し、当時の建設省によって内堀の浄化工事が本格的に行われた結果、太田川から取水し内堀を循環しています。

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きれいになった内堀には、手漕ぎの遊覧船が定期運行され観光スポットになっていて、内堀に浮かぶ観光船から見上げる広島城の雄姿には圧倒されます。観光遊覧時間は約35分で、営業時間は10:00から3隻の観光船が10分おきに1日18便が観光運行します。料金は大人1400円、中学生以下700円、未就学児350円。貸切観光もできます。

広島城の見どころ16:表御門

旧表御門は16世紀末(天正末期)頃に建造されたと推察され、原爆投下による延焼まで約350年に渡って歴史的価値のある御門でした。平成元年から平成3年迄行われた広島城築城400年を記念した復元工事で表御門は蘇ります。1934年昭和9年陸軍第五師団経理部による実測図を基に当時の写真など総合的に判断して建築されます。

ohisama_mirumiruさんの投稿
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旧表御門が消失後、礎石だけ残っていたところに、その礎石を使い昔通りの工法で復元されます。規模は桁行7.64メートル、梁間4.85メートル、軒の出1.27メートル、軒高7.03メートル、棟高10.61メートル、構造は木造脇戸付櫓門、入母屋造、本瓦葺、軸部真壁、軒塗籠(ぬりごめ)、両側面一間庇付(いっけんひさしつき)です。

take.s_photographyさんの投稿
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門柱の一部には樹齢千年の檜(ひのき)を使用していて、二階櫓部分の柱を見せる工法は櫓門としては古来よりの工法を引き継いでおり、真壁造り(しんかべづくり)といい、平櫓の方から中へ入れるようになっていて中は畳8丈が2部屋あり、「三矢の訓(さんしのおしえ)」の話の元となる毛利元就公の手紙も展示される観光スポットです。

広島城の見どころ17:御門橋

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広島城に入るには二つの方法しかありません。表御門につながる復元された御門橋と東にある裏御門からです。JR広島駅から乗物と徒歩で30分余りでこの御門橋に着きます。右にある平櫓とつながった長い廊下のような多門櫓、奥にわずかに覗く太鼓櫓は復元されていて、内部は見学観光でき、重厚な建築様式が見られる観光スポットです。

広島城の見どころ18:平櫓(ひらやぐら)

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平櫓の主なる目的は、表御門の出入りの監視と警備管理です。多門櫓に続く角に建てられているので、太鼓櫓まで見渡せ監視警備することもできます。又出陣の際には、兵の待機場所にもなることができます。高くはないものの目の前の監視警備には十分に力を発揮したことでしょう。

広島城の見どころ19:多門櫓(たもんやぐら)

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多門櫓は多聞とも書きます。長屋状の石垣の上に建てられた長い建物です。目的はやはり監視と警備であり外敵から常に備えていました。内部は本当に広々としていて、多用途な使い方が出来るようにも見え、藩士(兵士)の宿舎であった場所です。また、太鼓櫓に続ける目的でもあったのでしょう。

広島城の見どころ20:太鼓櫓(たいこやぐら)

多門櫓から続く太鼓櫓は城下に、時刻、事故、緊急登城を知らせる太鼓が2階に設置されていました。観光客も太鼓を叩けるように今は、1階に太鼓が置いてあり誰でも太鼓を叩くことができるようになっています。窓はあけ放たれており、太鼓の音が城下の隅ずみまで響き渡るように工夫されています。

ohisama_mirumiruさんの投稿
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復元された二の丸や櫓は中でつながっており見学観光できます。営業時間は9:00から17:30(11月から3月は16:30迄)です。最終入城時間は終了30分前です。城内は終日開放されていて、ライトアップ時間は日没から22:00迄です。水面に写る広島城もまた趣が異なりその大きさが伝わって来て一見の価値があります。

広島城の見どころ21:駐車場

広島城にはバス専用の駐車場がありますが、一般の乗用車が停められる駐車場はありません。有料の駐車場を利用せざるを得ない状況ですが、「広島市中央駐車場」の利用が便利でお得です。広島市中央庭球場の地下にある駐車場で、広島城天守閣の第一層ミュージアムショップに駐車券を提示すれば、30分間無料チケットがもらえます。

この地下駐車場を利用して、広島城を見学すれば、所要時間(往復の徒歩時間も含む所要時間)は約60分かかります。30分の無料チケットを利用すると残り30分の駐車場利用料金を支払えばよいことになりお得です。地下駐車場から出るときは「城南通り」に出れば、目の前が広島城です。広島護国神社の鳥居も見えるでしょう。

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駐車場の営業時間は6:30から25時で1月1から1月3日までの営業時間は6:30から24時です。駐車場料金は30分180円で1日の最大駐車場料金は1500円です。又、駐車場の営業時間の終了時間から翌日の営業時間開始の時間までの一泊の駐車場料金は500円です。駐車場の規約を守れば安く利用できます。

広島城の見どころ22:アクセス

広島城へのアクセスはJR広島駅から路面電車に15分間乗車し、「紙屋町東」停留所で下車し徒歩15分です。又JR広島駅からバスを利用するなら、15分乗車しバス停「紙屋町」で下車、徒歩15分です。どちらで行っても同じだと言いたい所ですが、おすすめは路面電車です。電車の窓から風情ある市内観光を楽しむことが出来ます。

広島城を見に行こう

広島城の魅力はお伝え出来ましたでしょうか。広島と言えば原爆公園と原爆資料館ですが、観光スポットの広島城も人気です。広島でしか見れない鯉も泳ぐ内堀に浮かぶ、広島城のライトアップされた姿は、水がきれいであればこそ尚一層、美しく見る者の記憶と心の琴線に残る広島城を訪ねましょう。

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