世界遺産『ポンペイ遺跡』の観光前に!見どころや入場料を詳しくリサーチ!

世界遺産であるポンペイ遺跡は、イタリアのナポリでもとても人気のある観光スポットで、世界中から多くの観光客が訪れます。こちらではそんなポンペイ遺跡についてその歴史や見どころ、入場料やアクセス方法などを詳しくご紹介していきます。

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目次

  1. 1ナポリの世界遺産「ポンペイ遺跡」を大調査
  2. 2ナポリのポンペイの歴史
  3. 3「ポンペイ遺跡」とヴェスヴィオ火山について
  4. 4世界遺産「ポンペイ遺跡」の奇跡
  5. 5世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ1:フォロ
  6. 6世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ2:神殿
  7. 7世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ3:バシリカ
  8. 8世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ4:浴場
  9. 9世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ5:闘技場・劇場
  10. 10世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ6:娼館
  11. 11世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ7:商店
  12. 12世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ8:秘儀荘/ヴィッラ・ディ・ミステリ
  13. 13世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ9:住居
  14. 14世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ10:道路
  15. 15世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ11:避難者の菜園
  16. 16世界遺産「ポンペイ遺跡」へのアクセス方法
  17. 17世界遺産「ポンペイ遺跡」の入場料
  18. 18世界遺産「ポンペイ遺跡」の営業時間
  19. 19世界遺産「エルコラーノ」について
  20. 20国立ナポリ考古学博物館について
  21. 21ナポリの世界遺産「ポンペイ遺跡」を観光しよう

ナポリの世界遺産「ポンペイ遺跡」を大調査

ポンペイ遺跡と言えば、イタリアのナポリ屈指の観光スポットで、世界中から観光客が訪れる人気の場所でもあります。こちらではなぜこのポンペイ遺跡が世界中の人々の興味を引くのか、その歴史や見どころ、観光ポイントや入場料などポンペイ遺跡に関する様々な情報をご紹介していきます。

ナポリのポンペイの歴史

ナポリの世界遺産であるポンペイ遺跡の街、「ポンペイ」ができたのは紀元前8世紀頃だといわれています。紀元前8世紀ごろといえば、ちょうどローマが建国された時期です。

ローマは最初は小さな国でしたが、周辺諸国との戦いに次々と勝利し、どんどん国力を付けてきます。そして紀元前89年にはポンペイはローマの支配下になります。

ローマはその後もどんどんと勢力を広げ、ローマの支配下にあった国はその恩恵を受け、大変豊かな歴史と文化、そして文明が開化していきました。

ポンペイも貿易の拠点としても大変栄えており、都市計画に基づいた道路や区画、商業施設、共同浴場や劇場などの娯楽施設、商人相手のホテルやバー、娼館などもありました。

この頃の日本といえば、ちょうど弥生時代にあたります。学校の歴史で習った通り、やっと米作りが始まり、鉄器や青銅器が作られ始めた時代です。そのころポンペイにはすでに水道などのインフラなども完備されていました。そう考えるローマの高い文明に感嘆せざるを得ません。

「ポンペイ遺跡」とヴェスヴィオ火山について

しかしながら、豊かで満ち足りた生活を送るポンペイの街に、突然の悲劇が訪れることになります。それがヴェスヴィオ火山の大噴火です。現在標高1281メートルのヴェスヴィオ火山はナポリの東9キロほどのところにあります。

ヴェスヴィオ火山と言えば、「東京ディズニーシー」のシンボルでもあるプロメテウス火山のモデルになった山としても有名です。

そんなヴェスヴィオ火山は紀元79年に大噴火を起こします。実はその予兆はその17年前も前からありました。ポンペイでは紀元62年に大地震が起き、その復興をしている最中でした。

悲劇の始まりは紀元79年の8月24日午後1時頃のことです。ヴェスヴィオ火山が大噴火し、空は火山灰に覆われ、ポンペイの街には火山灰が降り積もります。

この時点で多くの人がポンペイの街から避難しました。そして翌25日、噴火から約12時間後に火砕流が発生しました。その時の火砕流のスピードはなんと時速100キロメートル以上です。ポンペイの街は一瞬にして火砕流に飲み込まれ、更に火山性ガスなどの発生により、2万人の市民のうち、逃げ遅れた約2000人が一瞬にして命を落としました。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の奇跡

一晩で火砕流に飲み込まれたポンペイの街は時の流れの中で忘れられていきました。そしてこの街が再び脚光を浴びることになるのは18世紀に入ってからです。そしてこのポンペイ遺跡がとても保存状態が良かったのは、この街の消滅の仕方に理由がありました。

実はヴェスヴィオ火山が最初に噴火を起こしたとき、昼夜降り積もった火山灰には、乾燥剤のシリカゲルのような役割を果たし、湿気を吸収したことで、建物はもちろん、壁画などの劣化を食い止めることができたのです。多くの人の命と生活を奪った火山灰と火砕流は、くしくもローマの栄華を現代に色鮮やかに蘇らせたのです。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ1:フォロ

ナポリの観光スポットであるポンペイ遺跡には多くの見どころがあります。まず、ポンペイ遺跡の門を入るとすぐに大きな柱の建物が周囲を囲む広場があります。

「フォロ」というのは公共の広場と言う意味で、ローマのコロッセオの隣にある「フォロ・ロマーノ」の遺跡の「フォロ」も同じForumから来ています。広さは横38メートル、縦157メートルあります。

大きく高い柱の建築物は神殿や市役所・裁判所などの建物で、ここが行政や宗教の中心地であったことがわかります。これらの建物が2000年もの間灰に埋もれていたと思うと、その奇跡に感動します。現在はこの場所はポンペイ遺跡の中心地であり、多くの観光客の観光の中心となる場所です。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ2:神殿

イタリアと言えば現在はキリスト教徒がほとんどを占める国として有名ですが、古代ローマではキリスト教が国教とされる前までは、多神教であり、神話の英雄や神様、時には実在していた人間などを神格化して祀っていたりしていました。そのためポンペイ遺跡には多くの神殿が残されています。

特に有名なのはフォロ周辺のジュピター神殿とアポロ神殿です。ジュピターはローマ神話の天空の神です。フォロの北側にあるジュピター神殿はポンペイ遺跡の中でもとても有名な神殿で、高い祭壇の上に神殿の柱の一部が残されています。しかしながらこの柱の一部だけでも当時のアポロ神殿の荘厳さがうかがえるほどのスケールです。

アポロは、ローマ神話の太陽の紙です。アポロ神殿はマリーナ門を入ってすぐ左手にあります。48本もの柱で囲まれたこの神殿は当時はとても豪華なものであったと想像できます。いずれの神殿も建設されたのは紀元前6世紀から7世紀ごろと言われています。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ3:バシリカ

このバシリカもポンペイの見どころとして有名です。バシリカはフォロに面しています。バシリカとはギリシャ語のの「王の列柱廊」を意味しています。バシリカは長方形の広間の両側に数十本の柱を持つ構造で、最初は裁判所や商取引の場所として使用されていました。

ポンペイのバジリカは紀元前120年から78年に建てられたといわれており、ポンペイで見つかっている建築物の中で一番古いものであろうといわれています。ポンペイのバジリカは横24メートル、縦55メートルもあり、4世紀にキリスト教が国教になると大勢が集う教会として使われるようになりました。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ4:浴場

ローマの人たちが共同浴場を社交の場ととしていたのは、映画「テルマエ・ロマエ」でも知られている通りです。そしてポンペイ遺跡にもいくつかの浴場の跡が残されています。まずは入り口近くの「フォロの浴場」です。商業都市として有名だったポンペイには多くの人が市外から訪れました。

そしてそんな人々を癒したのがこのフォロの浴場だったと考えられています。フォロの浴場はさほど規模は大きくありませんが、浴室は男女に分かれており、浴室はとても機能的で、お風呂の種類も複数ありました。

同じようにスタビアーネ浴場も大変に設備の整った浴場で、浴室は冷水、温水、熱水などがあり、壁の間に管を通し暖房の設備までそろっていました。施設の設備もさることなら驚くべきことはこの時代に給排水システムが完全に機能していたことです。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ5:闘技場・劇場

ローマ独特の政治の方法を揶揄する表現として「パンとサーカス」というように言われますが、ローマでは前3世紀ごろから市民に食料と娯楽を提供し、市民が政治に無関心になるように仕向けました。ローマのコロッセオで行われた残虐な催し物はこの娯楽がエスカレートしたものです。

ポンペイの街にもそのような娯楽を提供する円形闘技場や大劇場などがあります。ローマのコロッセオをほうふつとさせる円強競技場の収容人数は2万人です。行われる娯楽には残虐なものもありましたが、ポンペイでは演劇なども行われており、ポンペイの市民はそこに集まり、娯楽を楽しみました。

現在では観光客がかつての客席やステージを見学しながら、当時の想像をすることができます。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ6:娼館

世界遺産であるナポリのポンペイは商業の街として有名でしたが、同時に、性産業が盛んな花街としても大変有名あったといわれています。ポンペイには20を超える売春宿があり、ポンペイではかなりの数の売春婦が働いていたといわれています。それらの売春婦の身分はとても低く、当時のワイン2杯ほどの価格で男性に奉仕しました。

ポンペイの遺跡の石畳には売春宿に向かう道標として男性の性器の形が彫られていたり、売春宿にはサービスのメニューとして使われたであろうフレスコ画などが描かれています。現代では遺跡となってしまいましたが、昔は日本の吉原のように多くの男性陣が通う街であったことが伺えます。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ7:商店

ナポリのポンペイは、大変栄えた街でした、ポンペイにはパン屋、居酒屋、更にはクリーニング店のようなものも存在していました。この時代にこのような経済が発展しているとは、やはりローマの文明の高さに驚嘆します。もちろんそれを証明するように遺跡もあります。

ポンペイにはパン屋が使っていたであろう石窯や石臼があります。石窯や石臼が遺跡として残っているのは想像がつきますが、ポンペイ遺跡からはさらに興味深いものが見つかっています。それが、炭化したパンです。ポンペイで出土したパンは丸く、ケーキのような切れ目が入っています。

居酒屋であったであろう建物には、この辺りでよく飲まれていたワインを入れた壺や壺を置く台などが残っており、そこで多くの人がお酒を楽しんだであろうことが想像できます。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ8:秘儀荘/ヴィッラ・ディ・ミステリ

この秘儀荘が建築されたとき、この辺りでは「ディオニュソス秘教」が流行していました。この建物はこの秘教に入信するための儀式が行われる場所だったといわれています。現在の建物は屋根の分が修復されていますが、なんといっても観光客にとって見どころなのはこの建物内に残された壁画です。

秘儀荘には、秘教に入信する手順が書かれた壁画があるのですが、その壁画の紅色が何とも鮮やかで深く美しいのです。この色は「ポンペイレッド」といわれ、この壁画が表す神秘的な内容も含めて海外から多くの観光客をひきつける要因となっています。

そしてこの秘儀荘で行われる儀式に関してですが、とてもミステリアスなもので、ここで性的な儀式が行われたという説もあります。是非この地を訪れ、現代に蘇ったポンペイレッドをその目で確認してみてください。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ9:住居

ナポリのポンペイ遺跡では、現代と同じく様々な身分や階級の人が生活をしていました。そのため、一般市民の家や富裕層の家など、様々なタイプの住居を見ることができます。特に富裕層の住居には当時の贅の限りを尽くした様子が見て取れます。ポンペイ遺跡の中で特に有名な住居を少しご紹介していきましょう。

ファウヌス(牧神)の家

まず最初にご紹介したいのが、「ファウヌス(牧神)の家」はポンペイでも最大の個人住宅で、敷地面積は縦40メートル、横110メートルもある豪邸になっています。具体的にだれが住んでいたのかは不明ですが、この住居の規模から考えると、要人の家であることは間違いなく、ポンペイの指導者として派遣された人の住居だといわれています。

「ファウヌス(牧神)の家」の名前の由来は敷地内あるファウヌスの像にちなんでつけられたそうです。こちらの観光ポイントはその豪華な家の作りと、大理石の床、そして高い技術で作られたモザイクの床や壁画です。

特に素晴らしいのは「アレクサンダー大王とダレイオス3世の戦い」のモザイク画です。熟練の職人が手掛けても数十年はかかるといわれるほどの作品です。

ヴェッティの家

こちらの「ヴェッティの家」は持ち主がわかっており、ここに住んでいたのは裕福な商人の兄弟でした。住居の造りから非常に裕福な生活を送っていたことがわかりますが、この兄弟は解放奴隷であったといわれてれており、ローマの奴隷制度の歴史においてお大変興味深い遺跡です。

ヴェッティの家の観光ポイントはなんといっても部屋の壁一面に施されたその壁画の数々です。とても鮮やかな色合いで、中にはセンセーショナルな壁画もありますので、ぜひゆっくりとご覧になってみてください。

悲劇詩人の家

ここには悲劇詩人のモザイク画があったことから「悲劇詩人の家」と呼ばれていますが、家の規模としては一般的な家だったといわれています。以前は家の内部に入れたのですが、現在は観光客が見られるのは玄関までです。

しかしながら玄関にある犬のと「猛犬注意」の文字のモザイクは大変有名で、多くの観光客がこちらで写真を撮っています。絵柄はかわいらしいのですが、こちらのモザイクも大変見事です。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ10:道路

ポンペイの街並みを観光していると気が付くことがあります。それが整備された石畳の道路が非常に機能的に作ら得ている点です。

例えば、ポンペイの街の道路には段差があります。つまり車道と歩道が作られています。そしてこの段差は車道と歩道を分けるだけでなく、大雨の際などの排水溝の役割も果たしていました。

よく見ると石畳の間には大理石がところどころ埋め込まれています。これは夜道で大理石が反射することを計算して埋められたものです。つまり反射板というわけです。商店が集まる場所には馬車を止めておくように歩道の縁石に穴をあけ、馬を結びつける機能も持たせています。

ポンペイの道には飛び石のように少し大きめの石が置かれていることがあります。これは横断歩道です。また、この頃から馬車の車輪の幅は規格化されており、横断歩道として置かれた石の間をうまく抜けられるようになっていました。ちなみに興味深いことにこの時代の車輪の幅の規格はヨーロッパの鉄道の車輪幅の規格と同じです。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の見どころ11:避難者の菜園

ポンペイ遺跡にはまだまだ見るべき場所があります。そしてとても珍しい遺跡が残っているのもポンペイ遺跡の特徴です。ヴェスヴィオ火山が噴火し、火山灰が降り積もり、そのあとの大火砕流に飲み込まれた人たちは一瞬にしてその命を失いました。

18世紀に発掘が始まった際に、土の中に奇妙な空洞が複数見つかったので、そこに石膏を流して固めると、それは人の形になっていました。堆積物の下に埋もれた人は長い時の流れの中で朽ち果て、姿形もなくなり、そこに空洞だけが残ったのです。

そしてその空洞に石膏を流し入れて固めたものがこの避難者の菜園に展示してあります。子供を守ろうとしているもの、苦しさに手足をひきつらせているものなどの様子がとてもリアルです。ポンペイで起こった悲劇を物語るとても衝撃的な展示です。

世界遺産「ポンペイ遺跡」へのアクセス方法

日本からポンペイ遺跡に行くにはまずイタリアのナポリを目指します。ナポリからポンペイまではナポリ中央駅から約40分ほどの距離です。ナポリからポンペイはトレニタリアが便利です。チケットの購入方法も簡単ですし、何よりも海沿いを走る車窓の風景が素晴らしいです。

チケットを購入したらサレルノ行の電車に乗り、ポンペイ駅で降ります。ポンペイ駅は終点ではありませんが、ポンペイ駅では多くの人が降りるのですぐにわかります。座席は自由席です。ポンペイ駅からポンペイ遺跡までは徒歩で20分ほどです。ポンペイ駅にはタクシーなどもないので、ゆっくりと散策しながらポンペイ遺跡に向かうと良いでしょう。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の入場料

ナポリの世界遺産であるポンペイ遺跡への入場料に関してご説明しましょう。ポンペイ遺跡の入場料は15ユーロです。この入場料には割引料金の設定があり、観光客の中でもEU出身者で18歳から24歳の人の入場料は割引きになります。18歳未満の人の入場料は無料です。

第一日曜日は、全員が入場料無料になります。またこちらの入場料は展示やイベントなどにより変わる場合がありますので、インターネットの公式サイトで訪問予定日の入場料やイベントを確認すると良いでしょう。

また入場料とは別になりますが、日本語のオーディオガイドも用意されています。オーディオガイドは大人が8ユーロ、子供が5ユーロで利用できます。せっかくポンペイ遺跡を巡るのであれば、オーディオガイドはとてもおすすめです。日本語のパンフレットは無料でもらえます。

世界遺産「ポンペイ遺跡」の営業時間

ナポリの世界遺産であるポンペイ遺跡の営業時間は季節によって変わります。またヨーロッパにはサマータイムがあり、時期によって時計を1時間早めたり、1時間遅くしたりする必要がありますので、注意しましょう。

ポンペイ遺跡の4月から10月までの営業時間は午前8時半から午後7時半です。サマータイムの場合は午前9時からの営業になります。ポンペイ遺跡は広いので午後6時以降は入場できません。11月から3月までは午前8時半から午後5時半までの営業になります。午後3時半以降の入場はできません。

基本的には年中無休ですが、1月1日と5月1日、12月25日はお休みです。また、冒頭でもふれたようにポンペイ遺跡は土の中から掘り起こされたことで、時を超え、再び劣化が進んでいます。遺跡の中には修復中の物もありますので、お目当てのものが見られないという場合もあります。

世界遺産「エルコラーノ」について

ヴェスヴィオ火山により灰に埋もれたのはポンペイの街だけではありませんでした。こちらのエルコラーノ遺跡も同じく火山灰に埋もれて時を止めた街の一つです。エルコラーノ遺跡はポンペイ遺跡に比べるとだいぶ規模が小さいのですが、ヴェスヴィオ周遊鉄道のエルコラーノ駅からのアクセスも良く、立ち寄りやすい世界遺産です。

エルコラーノ遺跡の入場料は11ユーロ、こちらの入場料もポンペイ遺跡と同様のシステムで、18歳未満は入場料は無料で、EU出身者で18歳から24歳の人の入場料は割引きになります。4月から10月までの営業時間は午前8時半から午後7時半、11月から3月までは午前8時半から午後5時まで、休業日は1月1日、5月1日、12月25日です。

国立ナポリ考古学博物館について

国立ナポリ考古学博物館はナポリの旧市街地にあります。この博物館は南イタリアにおいて非常に重要な考古学博物館で、建物自体も16世紀に騎兵隊宿舎として建てられたものです。こちらではポンペイやエルコラーノの出土品を見ることができます。

なかでも見どころはポンペ遺跡付近から見つかったのフレスコ画の数々、銅像、ガラスの壺です。そしてポンペイとともに灰に埋もれたエルコラーノは貴族の別荘地だっだと考えられており、そこから出土した見事な銅像も見逃せません。実際の遺跡と合わせて訪れると、遺跡に対する理解がより深まります。

また、遺跡を巡る十分な時間がない場合でも、こちらの博物館で遺跡の出土品を見るだけでも大変に価値があります。ナポリを観光するならばぜひ行きたい場所の一つです。

ナポリの世界遺産「ポンペイ遺跡」を観光しよう

火山灰と火砕流によって、最高のコンディションで「密封」されていたポンペイ遺跡は、皮肉なことに、掘り起こされることにより、雨風にさらされることになり、現在では時間がたてばたつほど劣化が進んでおり、現在は常にどこかが修復を行っているような状況です。ポンペイ遺跡を見るなら今です。ぜひナポリのポンペイ遺跡に行きましょう。

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