津和野城は島根にある天空の城!観光の見どころ・アクセス・リフトの営業時間は?

島根の津和野城は標高370メートルに築かれた山城で、雲海が見れることでも有名です。雲海は条件が整わないと見れないので、多分に運も関係があるようです。山陰の小京都と言われる、島根にある津和野城の見どころ・アクセス・登山・時間・歴史の隠れた真実なども紹介します。

津和野城は島根にある天空の城!観光の見どころ・アクセス・リフトの営業時間は?のイメージ

目次

  1. 1津和野城は島根の天空の城を見る前に
  2. 2津和野城は島根の天空の城1:どこにあるの
  3. 3津和野城は島根の天空の城2:乙女峠マリア記念聖堂
  4. 4津和野城は島根の天空の城3:歴史は
  5. 5津和野城は島根の天空の城4:リフト
  6. 6津和野城は島根の天空の城5:津和野城の近くにある中荒城
  7. 7津和野城は島根の天空の城6:津和野藩政庁
  8. 8津和野城は島根の天空の城7:太鼓谷稲成神社から登山
  9. 9津和野城は島根の天空の城8:雲海
  10. 10津和野城は島根の天空の城9:条件
  11. 11津和野城は島根の天空の城10:時間
  12. 12津和野城は島根の天空の城11:坂崎出羽守直盛
  13. 13津和野城は島根の天空の城12:アクセス
  14. 14津和野城は島根の天空の城13:基本情報
  15. 15津和野城は島根の天空の城を見てから津和野城へ行こう

津和野城は島根の天空の城を見る前に

津和野城は13世紀に築城が始まり、今ある遺構は17世紀に形造られます。津和野城は山城を基に作られており、残された櫓跡(やぐらあと)から津和野市内を望めば、絶景が見れることでも有名です。津和野城は標高370メートルに築かれていて雲海が見れることでも知られいます。観光の見どころやアクセス・登山の事などを紹介します。

津和野城は島根の天空の城1:どこにあるの

津和野は島根県の西の山間にあります。山陰の小京都とも言われ、隠れ里のような山あいにある風情溢れる町です。

願事が叶う町としても有名で、キリシタン殉教の地である乙女峠にはマリア聖堂があり、横には受話器が2つある不思議な公衆電話があることでも知られています。

津和野城は島根の天空の城2:乙女峠マリア記念聖堂

枕流軒(ちんりゅうけん)という山ですが、地元民たちは、津和野城主の娘が埋葬されてから、乙女山と呼ぶようになっていました。

1867年(慶応3年)長崎において、フランス人神父のベルナール・プティジャンが隠れキリシタンを発見してからというものの、新政府の隠れキリシタン弾圧が起ります。長崎から津和野へ153名が流刑になっています。

津和野藩による説得も、功をなさず、誰一人として「転ぶ」者はありませんでした。転ぶとは改修して仏教徒になることをいいます。

津和野藩は方針を変え、拷問をして、何とか改修しようと試みますが、1870年(明治3年)37人の殉教者を出します。裸で屋外の牢屋に押し込まれた信徒の元へ、聖母マリアのような女性が現れ励ましたと伝わっています。

日本のカトリック教会広島教区の司教が聖母の出現と認めているといいます。1873年(明治6年)禁教解除にともない、信徒は釈放され長崎へ返されました。

1939年(昭和14年)に、カトリック教会広島教区は舞台となった光琳寺の跡地を購入し、1951年(昭和26)に「聖母マリアと36人の殉教者に捧げる」聖堂として、乙女峠記念堂が建立されます。

後にマリア聖堂と呼ぶようになり、教会のステンドグラスには、拷問の様子が描かれているといいます。

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津和野城は島根の天空の城3:歴史は

1295年(永仁3年)、元寇が押し寄せて来る危険に、西国の防備を仰せつかった武蔵の国の地頭である吉見頼行氏が築城を開始します。

初めは、西南の尾根沿いにある中荒城を居城としていましたが、力を蓄え石見の国最大の国衆となるにつれ城も大きくなり、最大で南北2キロメートルもある城郭を形成するに至ります。

この地域の戦国大名であった大内氏を下剋上で破った、陶晴賢(すえはるかた)が攻めたてて来た時に、100日以上の籠城に耐えたことでも津和野城が堅牢な城であったことが証明されています。

津和野城の築城には、約30年を要したと言われ、山上を削り取って、尾根続きに堀切を造った山城でした。堀切とは、曲輪や集落の周りに、防御のための溝(堀)を掘ったもので、空堀の一つです。

津和野城の石垣は室町時代の末期に構築されたものと伝わっています。どうりで津和野城の石垣の角以外の石積みはカオス状態です。時代が下がるに従い石積みは整然と整って行く特徴があります。

毛利氏側に組したため、関ケ原の戦いで退去となった吉見氏。燃え盛る大坂城から、徳川家康の孫娘である千姫を救い出したと伝わる、坂崎出羽守成正が城主となって赴きます。今残る津和野城跡の礎を築いた人です。

津和野城を大改革し、津和野城を縮小します。本丸から北方200メートル離れた山頂に、側面防御の出丸を構築します。この出丸が織部丸で、本丸と織部丸のみを総石垣造りとしています。

西にある大手口を今の東の津和野市街地側へと変更し、麓の今の津和野高校周辺に藩庁を置いています。本丸の周りの中世城郭に見る、尾根にある3重の堀切は、坂崎氏か造ったか吉見氏が造ったかは不明です。

津和野城に入城してから、16年後坂崎家は断絶の憂き目にあい、その後津和野城は亀井氏11代が城主として225年の間、藩は維持されます。

しかし、1686年(貞享3年)津和野城は落雷で焼失してしまいます。その後、津和野城は再建されることなく、明治に入り石垣のみを残して、解体となっています。

津和野城は島根の天空の城4:リフト

麓からのリフトは、津和野城へ行く場合、大変便利この上ない乗り物です。リフトの乗車時間はわずか5分で、リフトを降りてから、尾根まで10分で本丸のある所まで更に20分あまり歩いたら、到着です。

但し、リフトはスキー客を山に運ぶのが目的で、あくまでも上向きで乗る乗物で、下向きのリフトは谷底に吸い込まれそうな感覚に陥り、たった5分が長く感じられて恐ろしいはず、高所恐怖症の方は厳しいかも知れません。

リフトの営業時間は9:00から16:30で、下り最終時間が16:30となっています。リフトの料金は中学生以上がリフト往復乗車で450円、小学生はリフト往復乗車400円となっています。

12月1日から2月末日までは土曜日・日曜日・祝日のみの運行になっており、また臨時休業が不定期にあります。リフトの近くには無料の駐車場があって、30台までは止められます。但し、1月1日から1月5日は営業します。

津和野城は島根の天空の城5:津和野城の近くにある中荒城

堀切や畝がみごとに残っていて、山城を肌で感じることができます。本丸である本城と出丸の織部丸の石垣は、地形を意識して形造られ、人質櫓の石垣は完成度が高く、見事です。南門から尾根伝いに南出丸・中荒城へと続いて行きます。

津和野城の近くにあった中荒城を居城とした吉見氏は、中荒城にも中世城郭の山城としての土塁や竪堀を造り、また中荒城の遺構の18本の畝状竪堀なども造っていて、見応えのある遺跡となっており、城マニアには堪らないエリアと言えます。

しかし、この辺りはツキノワグマの生息域に重なり、夕方に一人で訪れるのは大変危険です。時間的にも余裕を持って、大勢で訪ねられることをおすすめします。

津和野城は島根の天空の城6:津和野藩政庁

現在の津和野高校のある敷地には津和野藩政庁がおかれ、亀井氏が藩政を執り行っていた所です。庭園の嘉楽園、津和野城の馬場先櫓、物見櫓の建物が今も残っていて、見応えがあります。時間を割いても見ておきたい建物です。

津和野城は島根の天空の城7:太鼓谷稲成神社から登山

太鼓谷稲成神社は、日本で唯一、「稲成神社」と書く神社です。普通は伏見稲荷大社のように書くのですが、こちらは「稲成」と書き表します。願望成就の願が込められた太鼓谷稲成神社をお参りしてからの登山となります。

朱色の鳥居が重なる参道の階段を登って5分あまり行くと、立派なお社のある太鼓谷稲成神社の本殿前に出ます。日本五代稲荷神社の一つでもあるので風格もあって、立派。

太鼓谷稲成神社の駐車場へと向かいます。駐車場が津和野城への登山入口になっています。少し先に「津和野城1キロ」の案内標識がお稲成さんに遠慮しているかのように、立っています。

登山できるような所は他には見当たらないので、間違うことはなさそうですが、やはり案内標識に出会うと安心感が増すので、見つけて下さい。それほど小さい標識です。

すぐ隣に、リフトもあるので、リフトを利用したい方は、リフトを使って津和野城跡へ行くこともできます。小さな標識には、「自然遊歩道」と書かれたものもあり、登山する方も結構おられるようです。

リフトの下や隣を登山することになります。「織部丸東方の中世山城の遺構」の案内版もあり、先には堀切、曲輪、竪堀などが見えるはずですが、樹々が生い茂り、堀を埋め尽くしていて、何が何やら検討さえ尽きません。

少し登ると本丸と出丸の分岐点に出ます。リフトを使って登ったら出る分岐点でもあります。所要時間は約20ほどで、天気がいいと楽に登山が出来ます。

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津和野城は島根の天空の城8:雲海

「織部丸」へ向かい、津和野城下を眼下に見渡して、更に戻って10分ほど歩くと石垣が三段連なる「三段櫓跡」を発見し、続いて、「西門跡」先には「天守台」があります。

津和野城は「天守台」の上に更に「太鼓丸」と「三十間台」があって、一番上の「三十間台」からは、津和野城下が望めます。眼下に広がる津和野の景色はもう、絶景以外の何物でもなく、しばし見とれていたい景色です。

兵庫県但馬の竹田城や大分県竹田市の岡城の天空の城と遜色ない天空の津和野城です。それにしても山に石垣を重ねて積み上げる、先人の発想力のすごさと技術、只々驚きの一言に着きます。

雲海は、秋から冬にかけて気温が下がって、山間部ではたまった湿気が冷やされ雲海が見れることもあります。晴れた日の早朝、雲海の薄い所から標高の高い城壁や城が顔を出し、正に雲海に浮かんで見えることもあります。

津和野城は島根の天空の城9:条件

雲海が見れる条件は、9月から12月が一番、雲海が見れる確率が上がるときです。2月ぐらいまでは許容範囲だとか。晩秋が狙い目です。

よく晴れた、風のない穏やかな日で、放射冷却があるような日が、雲海の発生確率が高くなる傾向があると言われています。

津和野城は島根の天空の城10:時間

時間は早朝、まだ日も明けきらないうちに準備して待ちます。雲海の発生率が高い時間だと言われています。

雲海が出そうな日を見極めるには、週間天気予報をチェックしておき、気温や天気を見てある程度の「山」を貼っておきます。注意報や警報を意識して天気予報を見ておきましょう。ズバリ、濃霧注意報が出そうな日は雲海が出やすい日でもあります。

持ち物は懐中電灯、防寒着、撮影機材、温かい飲み物などがあれば、空振りだったときにも救われます。

リフトはまだ動いていないので、登山道から登りますが、夜明け前は足元が見えないので、くれぐれも注意が必要です。もしくは、太鼓谷稲成神社の駐車場で待機して、夜明けと同時に登山するのも一案です。

津和野城は島根の天空の城11:坂崎出羽守直盛

坂崎出羽守直盛は宇喜多家の一族で、豊臣秀吉が没してすぐのころ、豊臣の一大勢力であった宇喜多家に主家と家臣らが2分裂するという騒動が起きます。

反主流派であった坂崎出羽守直盛らは、仲裁に入った徳川家康の宇喜多家分割案を受け入れ、地方の大名におあずけになります。徳川家康は宇喜多家を分割することで、宇喜多家の力を無くそうとしたのです。

関ケ原の戦いが起こり、馳せ参じた坂崎出羽守直盛は武勲を上げて、岩見浜田の一万石を賜ります。この時、敵の名前である宇喜多家から坂崎家へに名を変えたと伝わっています。

ある日、坂崎出羽直盛が寵愛していた小姓と甥の左門が通じている現場を見つけてしまい、坂崎出羽守直盛が寵愛した小姓は切り捨て、左門は大名家を転々として逃げまわります。

関ヶ原後には、宇喜多家の血筋はこの二人だけになっていたので、坂崎出羽守直盛の祖父が涙ながらに左門を許してくれるように懇願しますが、頑として聞かず、この間8年に及び最後に幕府に訴え出ます。顛末は左門は切腹、匿った3大名家が取りつぶしになるなど大騒ぎとなります。

坂崎出羽守直盛の愛人である小姓を奪われた、恨みは相当なものであったのでしょうが、かなり執念深く、面子を気にする性格なのは、推測できます。

千姫を火中から救ったというのはどうやらドラマの中だけの話で、本当は秀頼の側近である大野治長の計らいで、助け出された千姫を徳川家康に仲介しただけだといいます。救い出したことに感動して、千姫を坂崎出羽守直盛の許嫁にするというのも俗説のようです。

新井白石が記している所によれば、千姫脱出後に公家との縁組を坂崎出羽守直盛に依頼したとされ、話をまとめた坂崎出羽守直盛でしたが、尼になるなどと言って千姫が嫌がり、破談になったといい、この時、千姫はもう再婚はしないと約束したといいます。

おそらくは、坂崎出羽守直盛が使者となって、公家との縁談話が進んでいたのでしょう。しかし、そのまま挨拶もなしに破談となったことを受け、約束までしながら別人と再婚することに、面子をつぶされたと怒ってすねたのでは。

面目にこだわった執念深い性格の坂崎出羽守直盛は、家臣共々行動に出て、屋敷に立て籠もります。1616年(元和2年)9月10日、家康亡き後、まだ政情不安な時に、江戸で事が起こるのを避けるために、最後に柳生宗矩が説得に当たります。

家臣に切られたとか、自害したとか、柳生宗矩が斬ったとか色々と伝わっていて、本当の所は謎、謎、謎。坂崎出羽守直盛の死を持って坂崎家は断絶となります。

現在、柳生家に伝わる家紋の「柳生傘」は、坂崎出羽守直盛の家の家紋で、使い続けることで、坂崎出羽守直盛の家の事実上の断絶を防いだと言われています。柳生宗矩は坂崎出羽守直盛の家臣と子の平四郎を引き取っています。

また、他にも石見の中村家、加賀の三宅家など坂崎出羽守直盛の子孫と伝わる家もあるのです。

現在残る墓碑は、関ヶ原の戦いで敗れ、坂崎出羽守直盛の庇護を受けていた、出羽横手城主の小野寺義道が坂崎出羽守直盛の13回忌に建立し、徳川幕府に遠慮して、墓碑銘を坂崎ではなく坂井出羽守としたと伝わっています。

親戚筋の他家と争うばかりでしたが、藩政では「表紙」の製造をおしすすめ、その基盤を造ったといい、楮(こうぞ)の植栽を推し進めています。

また、城内に側溝を多く作ったことにより、蚊の発生を抑えるために、鯉の養殖を考えついたと伝わっていて、後の津和野藩政に多大な影響を与えています。

わずか16年の藩政ながら、その後の藩政にも影響を及ぼすぐらい先々の事をおもんばかっていた点や、関ケ原の戦いで負けた知人を庇護したりと、8年も左門を追いかけまわした人と同じ人とは到底、考えられません。

左門が親戚を頼って逃げた結果、累は身内に及んでおり、愚直で生真面目で、直情型で、さらには偏執狂であったのかも知れません。

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津和野城は島根の天空の城12:アクセス

飛行機か新幹線かを選ぶ時、飛行機は旅行パックになっていて、ホテルの宿泊料や食事などが付いているものもあるので、単純に比較が出来ませんが、津和野までの所要時間を見てみると、圧倒的に飛行機の方が早く着きます。

山陽新幹線でアクセス

JR新山口駅まで山陽新幹線を利用すれば、東京8:40発で新山口駅13:12着の利用で、所要時間は4時間32分。JR益田線に乗換て津和野駅まで、所要時間は1時間43分。津和野駅到着は15:16です。

運賃は20640円、東京から津和野間の所要時間は、6時間36分です。乗換は1回で済みます。また、山陽新幹線を広島駅まで利用し、広島駅から岩国・新山口・山口・津和野と乗り継いで行った場合は、所要時間は9時間25分かかり、運賃は19560円です。

空から萩・石見空港へアクセスしてJR乗換

近くに萩・石見空港があり、全日空が羽田と結んでいます。萩・石見空港に昼過ぎに着く便を利用すれば、萩・石見空港と益田間は空港連絡バスの利用、JR益田から特急乗換で14:00ぐらいJR津和野に到着できます。

午後に萩・石見空港に着く便は、17:00過ぎの便を利用すれば、益田が18:55頃、津和野が19:35頃に到着できます。飛行機のチケット料金はホテル料金などとパックになっていてコミコミの料金で、23000円くらいから5万円ぐらいまで幅があります。

帰りは、津和野を11:00頃発車のJRに乗車すれば、益田着が12:00前、13:00頃のANAを利用できます。午後の便を利用するには、15:00過ぎの特急に乗車し、益田着が15:30ぐらいで、ANAは17:45ぐらいの便に乗れます。到着便・出発便共に羽田とのアクセスは1日2便です。

益田・津和野間のJRの料金は片道580円、萩・石見空港と益田間の料金は片道330円です。比較的、良心的な料金設定になっています。

空から萩・石見空港へアクセスしてバス乗換

萩・石見空港と益田駅間の空港連絡バスの所要時間は約12分ぐらいです。出発便にも到着便にも、空港間バスが接続しています。

益田と津和野近くの六日市までのアクセスは、広益線が1日1本しかなく、ANA12:15頃到着便の利用で、益田発15:30六日市17:06着のバスのみが走っています。料金は片道2070円です。

帰りは、広益線で午前と午後にそれぞれ1本づつ、バスがあります。10:00頃のバスに乗れば、益田着が11:16過ぎ、萩・石見空港発12:55の便が利用できます。

15:15ごろのバスに乗車すれば、益田着は16:31ごろに到着し、萩・石見空港は17:45ごろの便が利用できます。益田と六日市間の所要時間は1時間16分ぐらいかかります。

空から萩・石見空港へアクセスして乗り合いタクシー

津和野行は飛行機の空港到着の10分後に発車します。津和野町役場日原本庁舎まで所要時間は30分、津和野駅まで50分、津和野温泉「なごみの里」まで60分となっています。

全区間は同一運賃で、トランクルームに納めきれない荷物は車内には持ち込むことが出来ません。予約は利用の前日21時までに。また、前日21時以降でも予約が出来ることがありますので、問い合わせてみましょう。

当日でも、空席があれば、予約なしでも利用できますので、運転手に相談してみることをおすすめします。

料金は大人は中学生以上が2000円、子供は1000円、小学生以下は無料。但し、大人一人につき、子供二人まで無料。

KoiKoi(コイコイ)タクシーの連絡先は0856-72-3700、Faxは0856-72-3711です。また、飛行機が遅れた場合は、空港で予約のお客様を待ちます。欠航の場合は運行中止で、途中で分かったときは、出発地点に戻り料金はかかりません。

気候の悪化に伴う到着地変更の場合、KoiKoiタクシーは運行中止します。萩・石見空港へ行く場合は、航空機出発の1時間40分前に、津和野を立ちます。

空から萩・石見空港へアクセスしてレンタカー

萩・石見空港にはレンタカーの事務所が4ヵ所あり、それぞれ営業していて、車をレンタルできます。萩・石見空港の1階に受付カウンターがあります。

トヨタレンタカー、タイムズカーレンタル、ニッポンレンタカー、オリックスカーレンタルの4社です。

津和野城は島根の天空の城13:基本情報

津和野町の面積は、307.1平方キロメートル、人口は7478人(2017年3月1日調べ)。津和野駅にはJR西日本の山口線が通っていて、津和野の玄関口でもあります。

蒸気機関車C571がけん引する「SLやまぐち号」の終着駅で、始発駅は山口線の新山口駅で所要時間は2時間と少し。「SLやまぐち号」は臨時快速列車で新山口駅のホームは1番線乗り場で乗車でき、全席指定です。

住所 島根県鹿足郡津和野町後田

津和野城は島根の天空の城を見てから津和野城へ行こう

津和野へのアクセスは、どちらを選ぶとなるとやはり、飛行機になるでしょう。旅行パックになっているので、リーズナブルな価格から、ゴージャスなプランまであって選べます。登山をしながら津和野の町を観光するのも味なもの、津和野城跡は一見の価値があります。

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マッシュ

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