「アブチラガマ」は沖縄の心霊スポット?歴史や場所・入場料まで徹底ガイド!

沖縄南部の南城市に位置するアブチラガマ。沖縄の心霊スポットとして知られていますが、実はこの自然洞窟は防空壕でした。アブチラガマは本当に怖い心霊スポットなのか、沖縄の戦争の歴史やどんな観光ができるのか、今回はアクセス方法や入場料などの情報とともにご紹介します。

「アブチラガマ」は沖縄の心霊スポット?歴史や場所・入場料まで徹底ガイド!のイメージ

目次

  1. 1「アブチラガマ」は本当に沖縄の怖い心霊スポットなのか?
  2. 2「アブチラガマ」のある沖縄本島の南城市とは
  3. 3「アブチラガマ」は沖縄の戦史が分かる貴重な遺跡
  4. 4「アブチラガマ」を見学する前の注意事項
  5. 5「アブチラガマ」の構造について
  6. 6「アブチラガマ」の歴史について
  7. 7「アブチラガマ」が怖い心霊スポットというのはたんなる噂
  8. 8「アブチラガマ」の基本情報とアクセス方法
  9. 9「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ1:ひめゆりの塔
  10. 10「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ2:轟の壕
  11. 11「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ3:ヌヌマチガマ
  12. 12「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ4:沖縄陸軍病院南風原壕群20号
  13. 13「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ5:シムクガマ
  14. 14ガマ荒らしをが繰り返されないために
  15. 15沖縄を観光するなら「アブチラガマ」で沖縄戦について知ろう

「アブチラガマ」は本当に沖縄の怖い心霊スポットなのか?

アブチラガマは心霊スポットだけなのか

アブチラガマは、沖縄本島の南城市糸数にある自然洞窟です。怖い心霊スポットとしても知られていますが、なぜそんな心霊スポットになったのでしょうか。アブチラガマの成り立ちや歴史はどうなっているのでしょうか。今回は、アブチラガマが本当に怖い心霊スポットかどうか、その真意を調べる旅へご案内したと思います。

「アブチラガマ」のある沖縄本島の南城市とは

神の島と称される久高島を有する南城市

アブチラガマは、 沖縄本島南部の南城市糸数に位置します。ひめゆりの塔で知られる糸満市の北東部にあり、神の島と称される久高島(くだかじま)、琉球王国最高の聖地で、世界遺産にも指定された斎場御嶽(せーふぁーうたき)などの自然景観豊かな市です。

また、琉球民族の祖とされるアマミキヨ族が渡来し、住みついたと伝承される知念・玉城の聖地を巡礼する神拝の行事である東御廻り(あがりうまーい)などで知られる文化が息づいています。

そんな自然と文化が豊かな南城市にあって、怖い心霊スポットと噂されるのが、今回ご紹介するアブチラガマです。

「アブチラガマ」は沖縄の戦史が分かる貴重な遺跡

アブチラガマは沖縄の戦史がわかる遺跡

アブチラガマは、自然洞窟ですが、たんなる洞窟ではありません。1945年4月に開戦された沖縄戦時、防空壕として使われていた洞窟だからです。怖い心霊スポットだと言われる理由はここにあるのかもしれません。

アブチラガマは、もともと地元集落の避難指定の防空壕でした。戦況に応じて日本軍の陣地壕や倉庫として使用されたのち、南風原陸軍病院の分室となりました。米軍からの攻撃に遭いながらも、生き残った住民や負傷兵がいたことから、当時の状況がわかる貴重な遺跡としても重要な意味のある防空壕とされています。

「アブチラガマ」とは沖縄の方言で防空壕の意味

アブチラガマは防空壕だった

アブチラガマという名称には意味があります。アブとは深い縦の洞窟、チラとは崖、ガマとは沖縄の方言で洞窟やくぼみのことを指しますが、戦時中、ガマが避難場所や防空壕として使われたことから、ガマという語を防空壕という意味で使うこともあります。戦争を体験した人にとって、ガマは非常に重要であり、深い思いのつまった場所なのです。

沖縄戦時下の防空壕としてのガマ

沖縄戦火でガマはさまざまな用途で使われた

沖縄戦下、自然の防空壕であったガマは、生活の場として、軍の陣地として、野戦病院として使われてきました。とくに戦況がひどくなってくると、生活の場としての防空壕であったガマは、軍の施設として使われたり、負傷兵が運ばれ、野戦病院として使われることもありました。

アブチラガマは、軍の陣地として使われたのち、戦況がひどくなると野戦病院として使われるようになりましたが、全長270mもある大きな自然の防空壕が600名以上の負傷兵で埋め尽くされたといいます。

「アブチラガマ」を見学する前の注意事項

歴史の足跡を学ぶことのできるアブチラガマ

戦時中、防空壕として使われ、多くの人の命を救うと同時に、多くの人の命が奪われたアブチラガマ。現在では、沖縄戦の実相を伝えるガマとして、壕内を見学することができます。ただし、見学に当たって注意するべきことがありますので、手順を追ってしっかりと予約するようにしましょう。

「アブチラガマ」公式サイトにある入壕申込書で予約が必要

アブチラガマ見学は事前申し込みが必要

アブチラガマの見学は、まず入壕予定日の空き状況を確認し、入壕申込書を送付します。申し込みは、見学日の6ヶ月前から行うことができます。糸数アブチラガマ専属のガイドを依頼する場合は、このとき合わせてFAXします。

入壕申し込みの受付が完了すると、糸数アブチラガマ案内センターより結果が送信されます。なお、キャンセルする場合は、3ヶ月前までに確定捺印の申込書を送信しなければなりません。

「アブチラガマ」の入壕料と見学時間

アブチラガマの見学時間は1時間

入壕時間は9時~17時の間の1時間です。入壕方法は、30分間隔でスタートします。スタート15分前に到着しガイドの指示に従いましょう。

入壕料金は、個人の場合、大人250円、子ども100円です。団体の場合、大人200円、子ども100円となっています。子どもは小学生以上中学生以下です。なお、営業期間は、年末年始以外の毎日対応しています。

準備しておきたい道具はあるのか

壕内には明かりなどは一切ない

アブチラガマは、当時のままの状態に近い状態で保存されています。壕内には明かりなどもなく、通路などが整備されているわけでもありません。アブチラガマを観光する際には、運動靴や雨靴など、転んだりケガをしたりしないように足元はしっかりと備え、手袋、ヘルメット、懐中電灯などを用意していきましょう。

死者への弔いの念を忘れずに

観光スポットとはいえ、死者への弔いの心を忘れずに

アブチラガマは、地域住民の防空壕として、日本軍の陣地として、野戦病院として使われた洞窟です。住民、医療関係者、負傷した兵士たちが600名ほどもとどまり、米軍からの攻撃を受けながら、生き続けた場所です。亡くなった方も大勢いらっしゃいます。死者への弔いの念を忘れず、真摯に歴史と向き合う観光を心がけたいです。

「アブチラガマ」の構造について

広い洞窟に600人もの人が収容されていた

アブチラガマは、全長270mにも及ぶ自然洞窟です。入壕すると、広い洞窟のように感じますが、湿気が多く、重たい空気がただよいます。壕内は、「軍医室」「兵器庫」「病棟」「便所」「空気孔」「カマド」「破傷風患者」「脳症患者」「死体安置所」などに分かれています。

全長や見るべきポイント

当時どのような状況だったのかガイドの話から想像してみることが大切

アブチラガマの観光では、専属のガイドに案内を頼むことをおすすめします。そうでなければ、そこでどんな歴史が刻まれたのか、わからないからです。壕内は、当時のままの姿で保存され、人工的な明かりはいっさいなく、案内の説明板などもありません。

アブチラガマには、軍医がほとんどいなかったといいます。そこにひめゆり学徒隊たちが600人近い負傷兵の看護をしていたことを想像すれば、当時、どんな状況だったのか実感できるかもしれません。「便所」とある場所も、現代のような水洗トイレであるはずがありません。

壕内では負傷兵のうめき声が響き、壕外では戦火の嵐が続き、精神的にも肉体的にも追い詰められた当時の人々の状況を想像するのはなかなかむずかしいかもしれません。しかし、専属のガイドの話から戦争の悲惨さ、平和の大切さを実感できるはずです。

明かりを消して追体験を

壕内で明かりを消して暗闇の中の洞窟で追体験を

アブチラガマの見学は、懐中電灯を持って行われます。多くの案内ガイドは、壕内で明かりを消すように指示し、真っ暗いガマで置き去りにされた負傷兵や住民らの気持ちを追体験します。怖い体験かもしれませんが、ぜひ体験して当時の状況に思いをはせてみてください。考えるきっかけとなるはずです。

「アブチラガマ」の歴史について

アブチラガマの歴史は何を物語っているのか

アブチラガマは、当時の戦況によって、どのように変化していったのか、生存者の証言などから時系列で歴史を追うことができます。もともとは、アブチラガマは、地元住民が避難するための避難指定壕でしたが、米軍が沖縄に上陸する前年の夏、1944(昭和19)年7月ごろから日本軍の陣地としての整備が始まったといいます。

「アブチラガマ」が築かれた経緯

アブチラガマは戦況に応じて本物の防空壕へと化した

1945年、戦争が終わるこの年に入ると、アブチラガマ内に電線が引かれ、空気孔が整備されはじめました。そして3月下旬になると、糸数の住民200名がアブチラガマに避難するようにいわれます。この当時はまだ、日本軍の陣地であり、糧秣倉庫であると同時に、糸数住民の避難壕として使用されていました。

「アブチラガマ」をめぐる沖縄線の経過

沖縄戦で多くの命が奪われた

米軍が沖縄本島の中部西海岸へ上陸したのが、1945年4月1日。地上戦が次第に激しくなった4月下旬には、南風原陸軍病院の分室としてアブチラガマに医療体制が整えられました。5月に入ると、ひめゆり学徒隊とともに、600名ほどの患者が担送され、重症患者の治療がはじまります。

5月下旬、危険になったアブチラガマから撤退命令が出て、一部の患者やひめゆり学徒隊が移動しはじめました。このとき、歩けない重症患者などはアブチラガマに置き去りにされます。

その後、アブチラガマは米軍にたびたび攻撃され、沖縄での戦闘が終わるまで、多くの命が奪われました。しかし忘れてはならないのは、同時に、このアブチラガマのおかげで助かった人々もいるということです。

「アブチラガマ」が怖い心霊スポットというのはたんなる噂

アブチラガマはたんなる怖い心霊スポットではない

アブチラガマは、戦時中、防空壕として使われ、多くの方が亡くなりました。アブチラガマが怖い心霊スポットだといわれるのは、ある意味において当然であり、人によっては何かが見えるかもしれません。

これは興味本位の話ではなく、歴史が物語る真実です。したがって、単なる好奇心でアブチラガマを怖い心霊スポットだと扱うのは正しくありません。戦争の犠牲になった方のお墓でもあり、筆舌に尽くしがたい戦況下を生き抜いた方たちの生きた証でもあるのです。

アブチラガマは、たんなる怖い心霊スポットだとして、おもしろ半分に観光をする観光スポットではありません。現在では、平和学習の場として、修学旅行の学生をはじめ、多くの人が訪れます。アブチラガマを観光の際は、死者への弔いと敬意の気持ちを忘れずにいたいものです。

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「アブチラガマ」の基本情報とアクセス方法

アブチラガマは玉泉洞などの近くに位置する

アブチラガマは、沖縄県南城市玉城糸数にあります。沖縄本島に着いたら、滞在場所にもよりますが、那覇から車で1時間ほどかかります。近くには、パワースポットとも呼ばれる百名ビーチのほか、1967 年に発見され、100万以上の鍾乳洞や泉がある玉泉洞などもあります。

「アブチラガマ」の基本情報

アブチラガマでは専属ガイドに案内を依頼した方がベター

アブチラガマは、12月29日-1月4日の年末年始の休業以外、通年、営業しています。営業時間は9時~17時で、この営業時間に修学旅行などの学生も訪れます。必ず予約が必要ですので、忘れずに予約すること。観光時間はおよそ1時間で、専属のガイドを依頼したほうがアブチラガマの歴史や当時の話を聞くことができます。

バスでのアクセス方法

那覇からバスで30分程度

バスでアクセスする場合、那覇のバスターミナルで、市外線51・53系統のバスを利用します。バス停の名前は糸数入口で、那覇からだいたい30分ほどかかります。料金は580円(2019年2月現在)です。バスを下りたら、バス停からアブチラガマまで歩いて10分程度です。

車でのアクセス方法と駐車場

駐車場も完備されているアブチラガマ

アブチラガマへ車でアクセスする場合、最終的には県道48号線に入っていきます。那覇からアクセスする場合、国道330号線から国道507号線に入り、途中から県道48号線へと続きます。県道48号線の糸数の交差点でアブチラガマ方面へと入っていきます。アブチラガマには普通車のほか、大型バスも駐車できる駐車場があります。

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「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ1:ひめゆりの塔

沖縄を代表する防空壕、ひめゆりの塔

ひめゆりの塔は、沖縄戦の末期、沖縄陸軍病院第三外科が置かれたガマです。本島南部の糸満市に位置します。小説や映画などの作品で有名になり、沖縄戦の悲惨さを象徴する地として多くの人が訪れるガマでもあります。ひめゆりとは、従軍していたひめゆり学徒隊にちなんでいます。塔のとなりにはひめゆり平和祈念資料館があります。

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「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ2:轟の壕

重苦しい空気が流れる轟の壕

沖縄本島南部の国道331号線に位置する全長100mもある巨大なガマです。アブチラガマと同じく、もとは周辺住民の避難壕でしたが、戦況が悪化すると、最大1000人以上の住民が避難したといわれています。沖縄県知事をはじめ、県庁職員も避難し、沖縄県庁最後の地とも呼ばれています。

米軍の攻撃が続く中、日本兵による避難民への暴行などで、多くの犠牲者が出たと伝えられていますが、600名ほどの住民が生き延びました。

訪れた人の情報によりますと、このガマ内部は重苦しい空気が流れ、不快感を訴える修学旅行生なども多いのだとか。観光の際は無理をしないようにしましょう。

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「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ3:ヌヌマチガマ

アブチラガマの近くにあるヌヌマチガマ

ヌヌマチガマは、アブチラガマから南東に2kmほど行ったところにあります。沖縄戦当時、野戦病院として機能して、白梅学徒隊という女子学生が看護学徒として勤務していました。負傷兵が増えるにつれ、ガラビガマにも病院が広がりましたが、軍の撤退の際、病院も閉鎖され、中には友軍の手によって殺害された人もいたのだとか。

「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ4:沖縄陸軍病院南風原壕群20号

戦争遺跡ではじめて文化財に指定された

陸軍病院として使われていたガマで、日本ではじめて戦争遺跡で文化財に指定されました。当時のガマ内部が再現され、当時の状況がいかなるものだったのかを体験することができます。こちらも事前に予約が必要。入壕料は、大人300円、高校生200円、小中学生100円。9時~17時、毎週水曜日と年末年始が休壕日となっています。

「アブチラガマ」のほかに観光できるガマ5:シムクガマ

避難民の命を救ったシムクガマ

中頭郡読谷村にある天然の鍾乳洞、シムクガマ。洞口はふたつあり、全長2km以上あります。この壕にはおよそ1000人の村民が避難しました。米軍による激しい砲爆戦が迫り、いよいよ殺されるというとき、ハワイから帰国した二名が米兵と話し、避難民を説得し、避難民の命が助かりました。窟内にはこの二名に感謝をこめた記念碑があります。

ガマ荒らしをが繰り返されないために

心ない悪ふざけが繰り返されないようにしたい

シムクガマと同じく、読谷村にあるチビチリガマは、沖縄戦末期、集団自決が行われたガマとして知られています。投降したら米兵にひどい仕打ちを受けるという言葉を信じ、次々と自ら命を絶つという惨状が繰り広げられたのです。亡くなった方の多くが子どもでした。

そんな惨劇のあったチビチリガマが、少年らに荒らされるという衝撃的な事件が起こったのが2017年のこと。肝試しと称して、壕内の千羽鶴は引きちぎられ、骨壺は破壊され、平和と書かれた額が叩き壊されました。

沖縄に点在するガマとは、沖縄戦の犠牲になった方々のお墓であり、生きた証の神聖な場所でもあります。こうした心ない行為が繰り返されないためにも、アブチラガマをはじめとするガマを訪れたら、最低限のマナーを忘れずに見学するようにしたいです。

沖縄を観光するなら「アブチラガマ」で沖縄戦について知ろう

ガマを訪ねる旅で沖縄戦について考えてみる

怖い心霊スポットとしても知られているアブチラガマ。沖縄戦で多くの方が犠牲となった防空壕のひとつです。沖縄観光でアブチラガマをはじめとするガマを見学する際は、亡くなった方やその家族に対する哀悼の気持ちを忘れずに見学するようにしましょう。そして、アブチラガマの観光から、沖縄戦を考える旅をはじめてみるのはいかがでしょうか。

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この記事のライター
水木まこ

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