松本城の城主は誰?歴史や国宝指定された天守など見どころを詳しく紹介!

長野県の松本城は、国宝に指定されている名城です。四百年以上の歴史があり、城主が頻繁に代わったお城です。しかし、松本観光では最大の人気観光スポットです。アクセス方法やお土産や、松本城の見どころや歴史や移り変わった城主などまで、松本城の情報を詳しく紹介します。

松本城の城主は誰?歴史や国宝指定された天守など見どころを詳しく紹介!のイメージ

目次

  1. 1歴史と城主を知れば松本城観光はもっと楽しい!
  2. 2松本城ってどんなところ?
  3. 3松本城の歴史・城主
  4. 4松本城の見どころ
  5. 5松本城の基本情報とアクセス
  6. 6松本城周辺のおすすめスポット3選
  7. 7松本城のお土産
  8. 8松本城主も見た城の絶景を見に行こう

歴史と城主を知れば松本城観光はもっと楽しい!

国宝松本城は、数奇な歴史をたどっています、文禄2~3年(1593年~1594年)に、築城された五重六階の現存天守は日本最古といわれています。その後、数回にわたる存続の危機を乗り越えて、地元民の篤い思いから、その危機を乗り越えて、世界に誇る国宝松本城が残されています。その輝かしい松本城を詳しく紹介します。

松本城ってどんなところ?

松本城は、長野県松本市にある日本の城です。安土桃山時代末期から江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、広大な城跡は国の史跡に指定されています。松本城周辺は松本城公園として整備されており、北アルプスを背に歴史を生き抜いた威風堂々と雄姿を誇る天守です。信濃松本のシンボルとして多くの人々の誇りになっています。

国宝5城のひとつ

城郭研究者や城マニアなどの間で、国宝5城といわれる名城があります。実際に、天守が国宝に指定された5城が、国宝5城です。何れも誰もが納得できる名城ばかりです。その五城は、姫路城、犬山城、彦根城、松江城と、松本城です。松本城は昭和11年(1936年)に国宝に指定されています。

山・雪・桜の絶景スポット

雄大な北アルプの山々がそびえる、風光明媚な信州松本です。その松本のシンボル松本城は、四季折々で異なった美しさが演出されます。険しい高山が続く北アルスを従えるかのような、松本城の雄姿は見事な絶景です。

冬になり真っ白な雪景色に、対照的な黒い松本城は厳しい雪にも耐え抜く力強さが際立ちます。冬が終わり、1年で最も華やかな桜のシーズン、約300本の美しい桜の花の中に佇む松本城は、この時だけは桜の美しさを引き出しています。山にも雪にも桜にも見事にコラボし、美しく似合う松本城です。

松本城の歴史・城主

松本城は、誕生した時から現在のような天守を備えた城郭ではありませんでした。今日の国宝松本城に至るまでの松本城の歴史を調べてみましょう。松本城には日本史で習うような歴史上の有力者が係わっています。歴史の変革にも遭遇しています。そんな、歴史背景を秘めた松本城です。

前身の深志城と城主

戦国時代の初めの頃、現在の松本が深志と呼ばれていた頃は、信濃の守護・小笠原氏が一帯を治めていました。戦国時代の初めの頃に、山城として林城(はやしじょう)を築城しています。この林城を中心にして小笠原氏の一族や家臣が、周辺に自らの城を築城していました。

その中の、島立一族が永正元年(1504年)に、標高590メートルの松本盆地に深志城を築城した記録が残っています。

その後、風林火山で有名な甲斐の戦国武将・武田信玄が、当時の深志城主であった小笠原長時(おがさわらながとき)を追い出して、城主として、深志城を信濃侵攻の拠点とし治めました。

武田氏の深志城統治は32年間に及びました。しかし、天正10年(1582年)武田軍は、織田信長によって討ち滅ばされ、新しい深志城の城主になったのが、小笠原洞雪(おがさはらどうせつ)です。

その後は、小笠原長時の嫡子貞慶(さだよし)が、父の旧臣の支援を取り付けて、深志城を奪還し、城主となりす深志城を松本城と改めています。

深志城から松本城に名前を改めて、城主となった小笠原氏ですが、豊臣秀吉が天下人となった天正18年(1590年)に城主、小笠原氏が移封され、代わって石川数正が城主となっています。この新城主、石川数正・康長(やすなが)の親子が二代に渡って、築城工事に励み、石垣・天守を持つ、現在の松本城の城郭をほぼ完成させたようです。

城主として松本城の礎を築いた石川氏は、不祥事により御家断絶となり、小笠原氏が再び入城して松本城主になっています。

城主の入れ替わりが激しい江戸時代

その後、天下分け目の大坂の陣の結末により、松本城は東軍に関係する城主が治めています。戸田氏、松平氏、掘田氏、水野氏と城主が交代しています。

交代した城主に共通している点は、松平家はじめ全ての城主が徳川家と深い繋がりがあります。それだけ、松本城は江戸時代に戦略的に重要な要塞の働きを務めていました。

中でも、江戸幕府が安定した江戸中期からは、幕府直轄となり享保11年(1726年)から、松本城城主となった戸田氏は、享保12年(1727年)に本丸御殿が焼失していますが、以後の藩政は二の丸で執務し、145年にわたり松本城の城主を無事に務めています。そうして、大政奉還、明治維新を迎えています。
 

明治以降は城の役目を終える

松本城最後の城主は、戸田光則(とだみつひさ)です。明治2年(1869年)に、版籍奉還を行い、新政府から松本藩知事に認められています。城主がいなくなった松本城は、明治3年(1870年)からは、城内の通行ができるようになっています。明治9年(1876年)6月19日には、不審火により二ノ丸御殿が全焼しています。

徳川幕府の武家社会が終焉し、廃藩置県が行なわれ、お城は不用なものになってしまいました。各地の天守も競売にかけられていきました。松本城も天守が235両で落札されて、一旦は、取り壊しが決定されましたが、松本城を愛する地元民たちは、天守を破壊するよりも残すことが価値があると判断したのです。

松本城を愛する地元民は、一旦売られた天守を買い戻すために、天守を使って博覧会を5回開催し、その博覧会で得た利益で天守が買い戻されました。

その後、明治36年(1903年)から大正2年(1913年)間は、「明治の大修理」が行われています。昭和5年(1930年)には、 国の史跡に指定されています。昭和11年(1936年)には天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が当時の国宝に指定されています。

戦後の昭和27年(1952年)に、新しい文化財保護法によりあらためて国宝に指定されました。平成18年(2006年)に、日本100名城に選定されています。

松本城の見どころ

お城は最終決戦の砦になる重要な建物でした。そこから、城郭には様々な工夫がされています。日本全国にある城郭それぞれに、その城の建っている地理的条件などが活かされた、個性的な要塞になっています。松本城にも見どころがたくさんあります。そんな、松本城ならではの見どころの紹介です。観光する時に気をつけましょう。

城主の忠誠を表す黒い城

松本城の特徴ともいえますが、松本城はなぜ黒いのかといえば、城主として松本城を築城した石川氏が、自らの城を豊臣家の城と同じようにすることで、豊臣秀吉への忠誠心を示したといわれています。

石川氏は豊臣秀吉を信頼し、秀吉からも厚い信認を得ていたそうです。豊臣秀吉が築いた大坂城は、黒を使い、金箔の瓦が良く映えるようにしていました。石川氏も松本城を黒くし、秀吉への忠誠を強調したようです。

天守(国宝)

国宝の松本城が天守群といわれる、大天守(だいてんしゅ)、乾小天守(いぬいこてんしゅ)、渡櫓(わたりやぐら)、辰巳附櫓(たつみつけやぐら)、月見櫓(つきみやぐら)の五棟でもって、天守を形成しています。大天守と乾小天守は渡櫓によって連結されています。辰巳附櫓と月見櫓は複合されています。松本城の天守は連結複合式の天守です。

松本城の天守は標高590メートルの盆地内の平地に建っている平城です。さらに、松本城は現存する天守12城のうち五重六階の天守として、日本最古の天守です。大天守と乾小天守とそれをつなぐ渡櫓は、文禄2年から3年(1593年~4年)にかけて築造されたというのが公式見解とされています。400年以上の歴史があります。

黒門・太鼓門

黒門は一の門ともいわれます。元々は、松本城本丸へ入る重要な入り口で、江戸時代半ばまでは、この門を入ると本丸御殿がありました。格調高い正式な門で黒く塗装されていることもあり「黒門」と呼んだようです。

さらに、門の屋根には、松本城の城主を務めた大名家の家紋の付きの軒丸瓦が見られます。昭和20年代に行われた天守解体修理の際、まだ使える瓦を再利用した経緯があります。観光時に注意しましょう。

太鼓門の建設年代は明確ではないのですが、お城の創建当時からあったようです。江戸時代は倉庫として使用されていたものです。明治初年に一旦破却されましたが、平成3年から発掘調査され、石垣の復元を完了し、平成11年に太鼓門が復元されています。

本丸御殿跡・二の丸御殿跡

焼失前の本丸御殿の主要建物は五棟あり、部屋数は60余り、建坪は830坪(約2730平方メートル)ありました。御殿の周囲は塀が続いていました。天守の築造と同時に建設されたようです。享保12年(1727年)に火事により焼失しています。

焼失時の城主は戸田光慈です。その後、本丸御殿は再建されることなく、城主の政務を行う場所は二の丸御殿に移行しています。

二の丸御殿も、文禄3年(1594年)頃に竣工した天守と同時期に建てられたと推測されています。二の丸御殿の敷地は約1900坪(6270平方メートル)、建坪は約600坪(1980平方メートル)ほどあり、部屋数が約50あったようです。本丸と二の丸御殿双方があった時には、二の丸御殿は副政庁として機能していたようです。

本丸御殿が享保12年(1727年)に焼失後、すべての機能が二の丸御殿に移されています。明治になると御殿は県庁として使用されていましたが、明治9年(1876年)6月19日に出火し全焼しています。

昭和54年(1979年)から発掘調査をし、御殿跡を平面復元して、現在は跡地が見学できるようになっています。

駒つなぎの桜

松本城一帯は桜の名所で春の桜のシーズンになると、あたり一帯に約300本の桜が花を咲かせます。中でも見どころといわれる桜が「駒つなぎ桜」です。肥後の武将・加藤清正公が松本城を訪れた時に、松本城主の石川康長が清正公へのお土産として、2頭の馬を桜の木につないだという伝説が残っています。ただし、現在の桜は植え直されたようです。

松本城の基本情報とアクセス

国宝の松本城です。観光するのならできるだけ自分のペースで、松本城の見どころをたっぷりと見て回りたいものです。そのためにも、松本城の拝観時間を知っておきましょう。また、せっかく訪れたのにお休みなどにあわないように、休場日も調べておきましょう。あわせて、拝観料もチェックしておきましょう。

拝観時間・拝観料

松本城は、年末12月29日から31日を除き、基本無休で開城しています。開場時間は、通常の期間は8:30~17:00までになります。ただし、最終入場は16:30までです。ゴールデンウィーク期間と夏季期間の8月中旬は、8:00~18:00になります。ただし最終入場は17:30までです。

観覧料金は、大人:610円、中学生・小学生:300円になります。平均的な松本城天守内の観覧所要時間は約45分から60分です。ただし、これは個人の興味やこだわりで、長くなることはあります。

住所 長野県松本市丸の内4-1
電話番号 0263-32-2902(松本城管理事務所)

アクセス

松本城へ車でのアクセスは、長野自動車道の松本ICで下りて、国道158号を松本市街地方面へ向かいます。約3キロメートル、乗車時間は約15分で松本城に着きます。

電車の場合は、JR篠ノ井線の「松本駅」で下車します。そこから、松本城を目指して歩くと、約15分でアクセスできます。松本駅からバスを利用する場合は、松本周遊バス「タウンスニーカー」の北コースで「松本駅お城口」発に乗り「松本城・市役所前」で下車します、所用時間は約10分です。

駐車場情報

車での松本城観光は、駐車場の場所や料金など、駐車場の情報は重要になります。市営松本城大手門駐車場(立体)は、松本城まで徒歩で約5分の距離で、30分:150円です。7:30~22:30まで開城しています。

市営松本城大手門駐車場(平面)は、松本城まで徒歩約5分の距離で、大型車が、30分:370円です。自動二輪車は1回、100円です。7:30~21:30までの営業です。

市営開智駐車場は、松本城まで徒歩約5分の距離にあります。普通車が、1時間200円、超過すると、30分ごとに100円になります。8:00~18:00まで開いています。市営開智大型駐車場は、松本城まで徒歩で約5分、大型車が1時間510円で、超過すると30分ごとに250円になります。自動二輪車は1回100円です。8:00~17:00の間、営業しています。

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松本城周辺のおすすめスポット3選

長野県人は、真面目で勤勉で実直で学習熱心な県民といわれています。松本にもそんな長野県の県民性が表されている有名な歴史遺構が残っています。松本城観光のルートに加えて、ぜひ、観光してもらいたい見どころ満載の名所ばかりです。今回はそんな有名観光名所から3箇所の紹介です。

旧開智学校

教育熱心な長野県に相応しい歴史的な建物が開智学校です。明治6年(1873年)に、筑摩県学(ちくまけんがく)を改め、第二大学区第一番小学開智学校、として開校しています。現存する校舎は、町民の寄付もあり、明治9年(1876年)に建てられたものです。

桟瓦葺、寄棟2階建土蔵造りで、中央に八角塔が高くそびえています。ガラス窓を取り付けた、和風と洋風の入り混じった、見どころいっぱいの擬洋風建築です。昭和36年(1961年)に国の重要文化財に指定されました。開館時間は、午前9時から午後5時までで、入場料、大人300円、小中学生150円です。

住所 長野県松本市開智2-4-12
電話番号 0263-32-5725

四柱神社

四柱(よはしら)神社は、神社名の通り、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の四柱の神様をお祀りしています。すべての願い事が叶う「願い事むすびの神(社)」です。明治12年(1879年)に造営された見どころ満載の社殿です。

住所 長野県松本市大手3丁目3-20
電話番号 0263-32-1936

松本市美術館

松本市美術館は、平成14年(2002年)4月にオープンした美術館です。3階建ての地域に根ざす総合美術館で、見どころがあふれています。1階は市民の学習活動を支援する目的で、アトリエや講座室など教育普及機能を備えています。2階には、企画展示室、多目的ホール、市民ギャラリーがあります。

3階は、松本市が収集している美術資料を中心に常設展示しています。松本出身の書家や画家の作品を展示しています。松本出身の世界的アーティスト「草間彌生」の作品も展示してあります。基本入館料は、大人:410円、大学生・高校生:200円です。

住所 長野県松本市中央4-2-22
電話番号 0263-39-7400

松本城のお土産

観光旅行の楽しみの一つが、その土地の名物土産を探すことです。歴史がある信州松本、松本城を見学した後に、この地ならではの有名なお土産を探しましょう。松本名物のお土産はたくさんあります。そんなお土産の中から、長く愛され続けている有名なお土産の紹介です。何れも松本のお土産として外れがない有名商品ばかりです。

松本の有名お土産1:飯田屋 「あめせんべい」

「飯田屋」は、創業寛政8年(1796年)創業で、200年以上の歴史がある老舗菓子店です。代表銘菓「あめせんべい」は、粒子の細かい砂糖を煮詰めて、薄く板状に伸ばし、ウエハースのような形に仕上げ、サックとした食感の飴菓子です。

黒糖ならではのコクのある味わいが満足できるお菓子です。ほかにも、「塩」「和三盆」「珈琲」などの違う味わいも揃っています。松本地方は飴つくりが有名な地区で、その歴史が生きている名品です。

住所 長野県松本市大手2-4-2
電話番号 0263-32-1983 

松本の有名お土産2:てまりや「てまりん」

幸福のてまりをイメージした松本の伝統工芸品「松本てまり」をモチーフにした、てまりやさんの「てまりん」は、栗の甘露煮となめらかな栗あんをたっぷり詰め込んだ、バームクーヘンです。松本の伝統とドイツのバームクーヘンの融合で、新しい松本の有名人気土産に成長しています。可愛らしい形も人気の秘密です。

住所 長野県松本市中央2-4-15 謝藍ビル
電話番号 0263-39-5858

松本の有名お土産3:水城漬物工房「野沢菜(浅漬)」

信州松本で一番有名なお土産は、やはり「野沢菜(漬物)」です。水城漬物工房さんの「野沢菜」は、減農薬、堆肥栽培された国産の原料を、北アルプスの山岳地帯から汲み上げた、0℃の低温水・低塩水で24時間365日循環させながら製造しています。歯ごたえも抜群で、旨味が最大限に引き出された野沢菜です。

住所 長野県松本市大手4丁目12-16
電話番号 0263-33-2310

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松本城主も見た城の絶景を見に行こう

国宝松本城はお城そのものも見どころがたくさんありますが、築城から現在まで生き残った城であることも、松本城観光のポイントです。戦国時代だけでなく、その後の江戸時代、安定した藩政時代の名残も観光できます。天守にも登り、城主気分で絶景を楽しみましょう!

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この記事のライター
yuribayashi

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