平泉の世界遺産『中尊寺金色堂』へ!ミイラの謎とは?駐車場情報もあり!

2011年に世界遺産となった平泉は、金色堂に代表される奥州藤原氏の文化を今に伝える町です。その平泉の中尊寺金色堂はどのような歴史があるのでしょうか。そこで中尊寺金色堂の歴史や見どころ、そして有名なミイラからわかったことなどを紹介します。

平泉の世界遺産『中尊寺金色堂』へ!ミイラの謎とは?駐車場情報もあり!のイメージ

目次

  1. 1平泉の中尊寺金色堂を見たい
  2. 2平泉の中尊寺金色堂とは
  3. 3平泉の中尊寺金色堂への行き方
  4. 4平泉の中尊寺金色堂の駐車場は?
  5. 5平泉の中尊寺金色堂の歴史
  6. 6歴史に出てくる平泉中尊寺金色堂
  7. 7平泉の中尊寺金色堂は世界遺産
  8. 8平泉中尊寺金色堂の見どころ1:建築
  9. 9平泉中尊寺金色堂の見どころ2:金色堂
  10. 10平泉中尊寺金色堂の見どころ3:ミイラ
  11. 11平泉中尊寺金色堂の見どころ4:文書
  12. 12平泉中尊寺金色堂の見どころ5:仏像その他
  13. 13平泉中尊寺金色堂の見どころ6:蓮
  14. 14平泉中尊寺金色堂の周辺観光スポット
  15. 15平泉の中尊寺金色堂で歴史に思いを

平泉の中尊寺金色堂を見たい

28151281 348181655665250 1968450513246617600 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
jin.f31

平安時代の都というと、だれもが平安京を思い浮かべます。その平安京に次ぐ第二の都市がどこか知っていますか? なんとそれは都を遠く離れた平泉でした。平泉の代表的な観光スポットである中尊寺金色堂について、その歴史や行き方、見どころなどの情報を紹介します。

Thumb平泉『中尊寺』は岩手一のおすすめ観光地!料金やアクセス・駐車場紹介!
岩手県の平泉にある「中尊寺」は。世界遺産にも登録されている場所です。今回は、中尊寺の成り立ち...

平泉の中尊寺金色堂とは

中尊寺金色堂というのは、岩手県西磐井郡平泉町にあるお寺です。天台宗東北大本山に位置づけられており、山号は関山ということで「関山中尊寺」と呼ばれることもあります。平泉の中尊寺金色堂は、なんといっても奥州藤原氏にゆかりのある寺としてよく知られており、現在でも多くの参拝客が訪れています。

また、中尊寺金色堂は平安時代の美術や工芸の粋を極めたものと評価されており、京都にある平等院鳳凰堂とともに、日本の平安時代に花開いた浄土教思想を今に伝える貴重なものと言われています。そのため、中尊寺境内全体が国の特別史跡であり、後に述べるようにユネスコ世界遺産に登録されています。

平泉の中尊寺金色堂への行き方

28152906 193958564695274 2459382682681868288 n
sknmn18877

まず、平泉の中尊寺金色堂への行き方について説明します。中尊寺金色堂の最寄り駅はJR東北本線の平泉駅です。この駅には東北新幹線は通っていないので、遠方からの場合は、近くまで東北新幹線で移動し、それから東北本線(在来線)に乗り換えて、平泉駅に行くという行き方になります。

近くの東北新幹線の駅はどこかというと、一ノ関駅になります。ただし一ノ関駅は、「はやぶさ」など速達タイプの新幹線では通過してしまう駅なので、このタイプを使う場合は盛岡駅もしくは仙台駅で乗り換えが必要となります。また、「はやぶさ」と「こまち」は全席指定席となります。

28154510 1893135387424706 3296452412599959552 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
skmc_katze5780

新幹線を利用する行き方の場合の所要時間ですが、盛岡駅から一ノ関駅までは43分ほど、仙台駅から一ノ関駅までは32分ほどかかります。さらに在来線で一ノ関駅から平泉駅までは9分ほどで行くことができます。新幹線も在来線もそれなりに本数はあるので、平泉までの行き方はそんなに大変ではないでしょう。

26072432 1993476324229848 9222965668524064768 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
rinsta_gram17

飛行機を利用する行き方の場合は、最寄り空港が2か所あります。「花巻空港」と「仙台空港」です。花巻空港の場合は、そこからバスでJR東北本線の花巻空港駅に移動し、そこから平泉駅まで行きます。このバスは盛岡駅に行くバスなのですが、途中で花巻空港駅を経由するのです。

28754500 176267549664314 8737110502620004352 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
r_ryo0719

仙台空港からの行き方は仙台空港アクセス線の仙台空港駅から仙台駅に移動し、新幹線もしくは在来線を利用して平泉駅まで行くという行き方になります。仙台空港からは松島・平泉行きのガイド付きの路線バスもあり、これを使うと乗り換えなしで平泉まで行くことができます。なおこのバスは「中尊寺」(平泉レストハウス)で下車すると近いです。

平泉駅から中尊寺金色堂までの行き方ですが、1.6キロほどあり、徒歩で25分ほどかかります。平泉巡回バス「るんるん」を利用すると、中尊寺金色堂や毛越寺など、平泉の観光スポットを回ってくれるので徒歩よりも楽に行くことができます。1日フリー乗車券もあるので、いくつか回るならこれを利用してもいいでしょう。

14726194 2145666752326135 3485648470767828992 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
kei10kai

車で金色堂などの平泉の観光地を回るという方もいるかもしれません。車での平泉への行き方は、まず最寄りのICである、平泉・前沢ICまで移動します。ここから国道4号線を使って平泉駅方向に進むと、中尊寺金色堂の下にある駐車場の近くに出ることになります。駐車場は次に述べます。

平泉の中尊寺金色堂の駐車場は?

それでは、平泉の中尊寺金色堂の駐車場の情報について紹介していきます。結論から言うと、中尊寺金色堂周辺には駐車場が複数あります。ですから、紅葉シーズンなど特に混雑が予想される時期以外は、ほぼ問題なく駐車場を利用できると推測されます。駐車場には有料のところと無料のところがあります。

28751177 161625987981038 5723513035427938304 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
kazuheii

まず、先ほど述べた中尊寺金色堂の下にある駐車場が車線を挟んで2か所あります。いずれも平泉町営の駐車場です。それからこの駐車場から少し町道を登ったところにももう一つあります。この駐車場は他の二つに比べると距離は短いのですが、急な階段を登る必要があります。

20346965 750577595127048 3926051062930210816 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
yshrnig

今述べた専用駐車場はいずれも有料なのですが、歩いてもいいというのであれば無料の駐車場もあります。一つは平泉駅を挟んだ反対側、義経堂のところにある駐車場、もう一つは平泉町公民館の駐車場です。公民館の駐車場はイベントなどがある時には停められない可能性もありますので、事前に確認をしておいた方がよいでしょう。

平泉の中尊寺金色堂の歴史

13329006 250039735387369 1632967207 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
windstroutman

それでは、平泉の中尊寺金色堂の歴史について紹介します。平泉に中尊寺金色堂が創建されたのは、寺伝によると850年のこととされています。円仁がこの地を訪れ、関山弘台寿院を創建し、859年には時の清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったのがはじまりとされているのです。

11258190 926328224076259 1921487191 n
xxgoshixx

しかし、歴史上はっきりと中尊寺が出てくるのは、12世紀の初めに奥州藤原氏の初代、藤原清衡が「多宝寺」を建立したことに始まると言われています。藤原清衡は7歳の時に奥州前九年合戦で父を失い、母は清衡を連れて敵対した清原氏と再婚し、清衡は清原氏の養子となり、成長します。

21107167 769725109873925 5144667957799944192 n
mshima4116

その後、清衡の兄が亡くなると、兄が治めていた奥州の奥六郡の土地が、清衡と弟の家衡に分け与えられたことから対立が生じ、結果的に清衡が勝利し、清原氏は滅亡します。これが「後三年合戦」です。そこで清衡はこの土地を支配し、「藤原清衡」と名乗りました。この争いで兄弟や家族を失う経験が、中尊寺を建立することにつながったと言われます。

891508 753413138078912 630695862 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
otokokai

清衡はこれらの戦乱で亡くなった人々の霊を敵味方なく弔い、当時は辺境の地、「みちのく」と呼ばれたこの地に、仏の教えをもとにした理想社会である「仏国土」を作ろうと考えます。1105年、50歳になった清衡は、当時の東北地方の中心地である関山に堂宇を建て、釈迦・多宝如来を置く「多宝寺」を建立しました。

11379990 722963824498749 1443474818 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
takeda650

さらに清衡は百余体の釈迦如来が安置された「釈迦堂」を建立し、「法華経」に出てくる仏国土をこの地に作りだそうとします。清衡の跡を継いだ基衡は毛越寺を、さらに三代目の秀衡は無量光院を建立し、平泉にはその後約100年にわたり、王朝風の文化が栄えることとなります。

26866734 787846271422363 5727427932477980672 n
yuko_tsumagari

1189年、源頼朝により4代泰衡が討たれ、奥州藤原氏は滅亡します。しかし中尊寺は源頼朝により庇護され、存続することになります。さらに江戸時代になると平泉は仙台藩領となり、伊達氏の庇護を受けて保護が加えられました。しかし1337年には大火に遭って金色堂を除きほぼ全焼するなどしてしまいました。

1689年、「奥の細道」で有名な松尾芭蕉が平泉を訪れます。芭蕉が訪れたとき、中尊寺金色堂は鎌倉北条氏によって建てられた覆堂の中で朽ち果てた状態になっていたとされています。「五月雨の降残してや光堂」という俳句は、この金色堂を見て詠んだものと言われています。

12301419 1690746101137251 1714549269 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
paspa1027

1909年、本堂が再建され、1950年には金色堂須弥壇に安置されていた奥州藤原氏のミイラに学術調査が行われました。詳しくは後述しますが、これにより奥州藤原氏の4人についていろいろなことがわかりました。さらに1962年からは金色堂の解体修理が行われ、現在は創建当時の輝きを取り戻しています。

歴史に出てくる平泉中尊寺金色堂

平泉の中尊寺金色堂は、歴史書の中にも多く記載されています。特に鎌倉時代の公的な歴史書とされる「吾妻鏡」の中には、奥州藤原氏が滅亡した後、源頼朝に提出された「寺頭已下注文」と呼ばれる文書が載せられており、当時の平泉、そして中尊寺金色堂の様子が今に伝えられています。

12729556 1779151125641249 834741631 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
takumidennie

この歴史書の記載によると、当時の中尊寺には金色堂のほかに多宝寺、釈迦堂、そして両界曼荼羅の木像が安置された「両界堂」、阿弥陀仏と九体阿弥陀仏が安置された「二階大堂」(大長寿院)などがあったと言います。さらに金色堂に関しては「金色堂 上下四壁は皆金色なり」という記載がなされ、当時からまさに「金色堂」であったことがわかります。

14063488 1070278083049449 1732229668 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
usako0225

このように、中尊寺金色堂は平安時代という古い時代のものであり、多くが失われているにもかかわらず、公的な歴史書に記録が残っているという点が、中尊寺を含む平泉の大きな特徴であり、さらに発掘やミイラの調査などで当時の状況がわかってきているという点が、歴史上価値が高い点と言えます。

平泉の中尊寺金色堂は世界遺産

このように、中尊寺金色堂を含む平泉は当時の浄土教文化を今に伝える遺跡が歴史資料の面からもミイラなどの調査の面からもわかっていることから、平泉の文化は京都に影響されつつも、独自の地方文化を発展させたこと、奥州藤原氏の滅亡後に開発にさらされなかったことで、その文化が今に伝わっていることなとが高く評価されました。

それにより平泉は2001年にユネスコ世界遺産の暫定リストに登録され、2006年には周辺の自然環境と金色堂などを含む寺院群により浄土が再現された文化的景観が稀なものであるとして世界遺産に正式に申請されました。ところが2008年の世界遺産委員会では、残念ながら世界遺産登録には至りませんでした。

13696906 1085971051473623 1147334317 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
zenk0u

世界遺産登録に至らなかった理由としては、申請された文化的景観が個別に点在しているために、統一性の面での説得力に欠けたこと、中国や韓国などとの比較研究が不十分であるとされたことなどがありました。またむしろ寺院の建築様式などの独自性や影響関係を強調すべきではという意見がつけられました。

27579422 1655901427786452 8490090956148703232 n.jpg? nc ht=scontent nrt1 1.cdninstagram
stamp_manhole

これを踏まえて政府や岩手県は構成要素を整理し、あらたに「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」という登録名に変更、再度世界遺産登録を目指します。そして2011年、平泉は前述の登録名により、世界遺産に登録となりました。日本の世界遺産の中では12番目、東北地方では初めての文化遺産としての登録となったのです。

Thumb『毛越寺』平泉に佇む世界遺産!駐車場・アクセス・所要時間を解説!
毛越寺は平泉町にあり、2011年に東北地方初の世界文化遺産となりました。古く平安時代末期、こ...

平泉中尊寺金色堂の見どころ1:建築

前述したように、中尊寺はそれ全体が国の特別史跡であり、世界遺産の構成要素の一つとなっています。金色堂は国宝指定となっているため、別に述べるとして、それ以外の中尊寺の見どころについてまずは紹介していきます。前述したように本堂は新しいのですが、古い建造物も残ります。

16464351 1849131295337255 4190642308451926016 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
life_is_blues

まず、金色堂の近くにある経蔵は、国宝である紺紙金字一切経2,739巻を収めていた建物で、鎌倉末期の建立とされていますが、一部には平安時代の材料も使用されています。中にはこの一切経のほか、国宝の螺鈿八角須弥壇、重要文化財の文殊五尊像も安置されていました。重要文化財です。

10706851 1482776565323869 28960068 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
neko_cafe_cattus

白山神社能舞台もまた重要文化財で、中尊寺の鎮守である白山神社にあります。1853年、仙台藩により再建されたもので、東日本で唯一の近世の能舞台の遺構とされています。また、金色堂の旧覆堂は室町時代中頃から約500年金色堂を覆っていたものであり、こちらも重要文化財となっています。

平泉中尊寺金色堂の見どころ2:金色堂

中尊寺観光のメインともいえる金色堂は、1951年、日本の国宝建造物第1号に指定されました。前述したように室町時代中頃に建立された覆堂により保護されてきましたが、1965年に鉄筋コンクリートの覆堂が作られ、ガラスケースで外気と遮断される形で現在は保護されています。

12142465 876703935744004 1833993522 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
paspa1027

金色堂は方三間の小型の仏堂で、棟木に1124年に「大檀散位藤原清衡」らが建立したという墨書があることから、この年に建立されたと考えられています。内部には三つの須弥壇があり、阿弥陀三尊像が安置されているほか、中には藤原氏3代のミイラと4代の首級が収められています。

11352287 1576320095967338 34352212 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
hammsuke

また、金色堂の須弥壇の高欄には象牙が貼られているのですが、この象牙を鑑定したところ、アフリカゾウのものであることが判明しました。つまりこの象牙は北方貿易により大陸経由で輸入されたものということになり、奥州藤原氏が交易により財力や権力を得ていたことの証明になると言われています。

平泉中尊寺金色堂の見どころ3:ミイラ

24125557 331882800621671 4613050808710201344 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
y_u_k_i_y_a_n3

さて、1950年に中尊寺金色堂の調査が行われた際に注目されたものがあります。それは奥州藤原氏のミイラの存在です。これは金色堂の須弥壇の中に納められているもので、藤原清衡、基衡、秀衡のミイラと、忠衡の首と言われるものがありました。これらはその調査の際に細かな調査が加えられています。

23735083 1701830463224601 2093803789524926464 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
usako0225

ミイラの調査には、当時の人類学、医学、法医学をはじめとする研究の第一人者が学術調査団を結成し、調査を行いました。その結果、忠衡の首とされていたものが実は泰衡の首であることが判明したほか、どのような形で泰衡の首が刎ねられたのかについても判明したのです。

21373375 850159345141052 83698329799622656 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
eritsuk

さらに寺伝では中央の須弥壇のものが清衡、左が基衡、右が秀衡であるとされていたのですが、左と右が逆ではないかという意見が出ました。さらにミイラにエックス線の検査を行うことで、これらの遺体が何歳くらいで亡くなったのか、またその死因はどうだったのかということまでも推定されたのです。

21372113 353534695069132 7374967921115660288 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
bulge1220

また、この後1994年にミイラが再調査された結果、その骨格はアイヌや鎌倉時代の人よりもむしろ現代の京都人に近いと言われており、特に基衡は貴族化が著しいという結果が出ました。これらのミイラの実物は現在公開されていませんが、ミイラがあったことで奥州藤原氏のことがいろいろとわかったという面が大きいのです。

平泉中尊寺金色堂の見どころ4:文書

12825705 468293963368705 1964007523 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
gallery_hokuouki

中尊寺金色堂には国宝の文書があります。それが先ほど述べた紺紙金字一切経2,739巻です。これは紺地の紙に銀泥で線を引き、金字と銀字で一行ずつ経文を書いているもので、平安時代末期のものとされています。近世初頭に寺外に流出したことから、高野山金剛峰寺などにも所蔵され、金剛峰寺のものもまた国宝に指定されています。

平泉中尊寺金色堂の見どころ5:仏像その他

中尊寺には重要文化財に指定されている仏像も多く所蔵されています。まず本堂の本尊である木像阿弥陀如来像は平安時代末期のもので、現在は讃衡蔵に安置されています。近世には閼伽堂に安置されていました。寄木造の坐像で、定朝様の穏やかな雰囲気を持つ仏像です。

また木造一字金輪坐像は「一時金輪仏頂尊」とも言い、一般的には絵画としてあらわされることが多く、彫像のものは珍しいとされています。背面が彫られておらず、顔が白く塗られているので「生身の大日」「人肌の大日」と呼ばれています。平安時代後期の作であり、秘仏とされています。

平泉中尊寺金色堂の見どころ6:蓮

13671190 542772742587364 344430113 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
daiexpress110

お寺に蓮があるというのはさほど珍しくはないのですが、中尊寺の蓮はちょっと違います。「中尊寺ハス」と呼ばれるこの蓮は、なんと泰衡の首桶の中から発見され、それが発芽し、1998年に開花したものなのです。そのため別名を「泰衡蓮」と言い、現在では紫波町にもこの蓮が咲く場所があるとのことです。

平泉中尊寺金色堂の周辺観光スポット

平泉文化遺産センター

21479701 551120561678556 4838240458050109440 n.jpg? nc ht=scontent hkt1 1.cdninstagram
hana2baki

中尊寺や毛越寺など、平泉には奥州藤原氏の歴史に関わる観光スポットがたくさんありますが、歴史に詳しくない方はまずはこちらに行くといいかもしれません。平泉文化遺産センターは映像やパノラマ写真などを使い、奥州藤原氏の歴史や遺物などを紹介しています。ここで学んでから行くと、それぞれのスポットの理解が深まるかもしれません。

平泉の中尊寺金色堂で歴史に思いを

28753106 1163689143772587 363329408330629120 n
l.stagram_13

奥州藤原氏の文化を今に伝える中尊寺金色堂は、行き方もいろいろあり、周辺にはそれに関する観光スポットも多いです。ゆっくり時間をかけて平泉を散策すれば、平安貴族が願った極楽浄土の世界が浮かんでくるかもしれません。ぜひ奥州藤原氏の栄華に触れてみてください。

関連記事

関連するキーワード

Noimage
この記事のライター
茉莉花

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ