阿蘇観光ホテルは熊本の有名廃墟心霊スポット!現在は立ち入り禁止?

熊本県の「阿蘇観光ホテル」は、昭和天皇も宿泊された由緒ある洋式ホテルでした。閉業した後に残された建物は現在では廃墟になってしまっていますが、その魅力的な佇まいがすくなからぬ人を惹きつけています。今回は「阿蘇観光ホテル」の歴史や現在の様子をご紹介します。

阿蘇観光ホテルは熊本の有名廃墟心霊スポット!現在は立ち入り禁止?のイメージ

目次

  1. 1熊本県の心霊スポット?廃墟「阿蘇観光ホテル」をご紹介!
  2. 2熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」は由緒あるホテルだった
  3. 3熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」の現在
  4. 4熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」はなぜ心霊スポットと言われるようになったのか?
  5. 5熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」に関連する品が駅に?
  6. 6廃墟を訪ねる時の注意点
  7. 7熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」へは自己責任で

熊本県の心霊スポット?廃墟「阿蘇観光ホテル」をご紹介!

熊本県阿蘇山の中腹に建てられた「阿蘇観光ホテル」は、現在では廃墟となっている、かつての名門ホテルです。三角の赤い切妻屋根の特徴的な建物は心霊スポットのような雰囲気も漂わせていて、「アソカン」と呼ばれ知る人ぞ知るスポットになっています。

今回は、この「阿蘇観光ホテル」の創業から現在までの歴史を振り返ると共に、廃墟となってしまった現在の様子などをご紹介します。

熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」は由緒あるホテルだった

熊本県の「阿蘇観光ホテル」は1939年に開業、昭和天皇も気に入られ何度か宿泊したことがあるという由緒あるホテルでした。

昭和初期に建てられたにもかかわらず、「阿蘇観光ホテル」は完全な西洋式のホテルで、回転ドアが来客を迎え、部屋には水洗トイレや西洋式のバスが設置、そしてダイニングではフルコースの洋食が提供されていました。

また、終戦後の設置にはなりますが、「阿蘇観光ホテル」にはプール、ビリヤード、ゴルフ場やクレー射撃場も併設されているという、現在でもなかなかお目にかかれないような豪華な設えのホテルでした。

そんな、当時の庶民には憧れの対象であったであろう由緒あるホテルが、なぜ現在では廃墟、心霊スポットなどと言われるようになってしまったのでしょうか。この項では、「阿蘇観光ホテル」の歴史を振り返ってみます。

開業のあらまし

「阿蘇観光ホテル」が開業した1930年代は、国策として現在で言うインバウンド事業、つまり外国人観光客を呼び込もうという機運が動き出した時期でした。鉄道省外局に国際観光局が設置されたのがちょうど1930年で、全国に14の「国際観光ホテル」を開業(または改装)することが計画されました。

この14のホテルの中には「日光観光ホテル(現在の中禅寺金谷ホテル)」横浜の「ホテルニューグランド」、「名古屋観光ホテル」「雲仙観光ホテル」など現在でもおすすめできる名の通ったホテルが名を連ねています。

熊本の「阿蘇観光ホテル」も堂々たるこの国策ホテル事業の一員で、1940年に計画されていた東京オリンピック(戦争のため中止)を控え日本に注目していた外国人観光客を受け入れるという大きな役割を担うことになるのです。

1939年から2000年まで

外国人観光客を取り込むという意図から、1939年に開業した熊本県の「阿蘇観光ホテル」は西洋風の意匠を多く取り入れて設計されました。現在でも見られる傾斜の大きな赤い切妻屋根はスイスの山小屋風ですが、これは阿蘇の山並みとスイスの高原のイメージが重なったためとも言われています。

「阿蘇観光ホテル」では、傾斜の緩い屋根など和風のデザインも取り入れられました。和と洋が程よくミックスされた大規模なホテルは、西洋式の設備など大きな注目を集め、外国人へのおすすめホテルになりました。

しかし、ほどなく戦況が悪化し、残念ながら外国人観光客を呼び込むという当初の目的を果たすことはできませんでした。

そんな「阿蘇観光ホテル」は、1945年の第2次世界大戦終了後は米駐留軍の保養施設となります。ゴルフ場やビリヤード、クレー射撃場などはこの時に整えられました。

「阿蘇観光ホテル」は1952年に返還され、九州産業交通が運営を担うことになります。国策のおすすめホテルとしての格式を保ったこのホテルには、1957年に昭和天皇が宿泊、大変気に入られ、その後も2回宿泊されています。

1964年の火災を乗り越えた「阿蘇観光ホテル」でしたが、1990年代に入るとバブル後の不況で親会社の経営が悪化、ホテルの設備も古くなり、客足が減っていたこともあり閉館が決定します。「阿蘇観光ホテル」が約60年の歴史に幕を下ろし、閉館したのは2000年2月のことです。

2000年以降

熊本県の「阿蘇観光ホテル」は、本館の他、和式の「蘇峰館」、そして団体向けの別館という3つの建物から成っていました。ほどなく蘇峰館と別館は取り壊されましたが、シンボルの赤い大きな切妻屋根をもつ本館はどういう事情か現在まで残されています。

閉館し利用客のいない「阿蘇観光ホテル」の建物は年月と共に廃墟の様相を呈していき、後述のように映画の撮影スポットになったり、メディアに取り上げられたりしています。また、廃墟マニアなどの訪問レポートなどもSNSに挙げられ一部の人たちには有名なスポットになっています。

熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」の現在

この項では、廃墟となってしまった熊本県の「阿蘇観光ホテル」の現在についてご紹介します。まず、残っている本館の建物は、全体的には元の形を留めているように見えます。が、シンボルの赤い屋根は色あせ、苔の緑が目立っている部分もあります。

ベランダは雑草のみならず木が生えているところもあり、長期間放置されていることを如実に示しています。そして何より廃墟感を感じるのは例外なく破れているガラス窓と、そこから覗く内部の荒廃ぶりです。

熊本県は2016年に大地震に襲われ、「阿蘇観光ホテル」周辺の道路などは大きな被害に襲われました。ホテルの建物自体は倒壊せず一見さほどの被害は受けなかったように見えますが、目に見えない損傷は多々あり、もろくなって危険な状態なので、内部侵入は全くおすすめできません。

ホテルまでの道

熊本県の「阿蘇観光ホテル」に向かう途中の道には、熊本地震の際の崖崩れやひび割れの影響で今でも通行止めになっている箇所があります。迂回路が提示されているのでそれに従うのがおすすめです。走れる道も亀裂補修の跡などが多く見られ、地震被害の大きさを実感します。

「阿蘇観光ホテル」の敷地でも、地震で崩れた崖を修復した部分が見られます。つまり、閉館後も管理者がいて点検をしているのです。

1階の様子

現在は廃墟となっている熊本県の「阿蘇観光ホテル」の玄関はがれきが散乱しています。当時は多くの人の憧れの的であったろう「ASO KANKO HOTEL」の文字も最後の数文字が脱落していまっています。

入口には「危険」と書かれた紙が貼ってあります。熊本地震の後に地元の南阿蘇村の職員がこのホテルの状況を確認して貼っていったと思われるもので、建物周辺の地盤沈下や擁壁(斜面の土を留めるための構造物)の破損などが通知されています。

この警告にもかかわらず建物の中に侵入する人がいて、玄関近くには首吊りを模した人形が置かれドキッとさせられます。

「阿蘇観光ホテル」の1階は廊下や部屋に多量の土砂が流れ込み物が散乱している状態ですが、窓の外はいつも変わらない美しい阿蘇の山並みの雄大な景色が広がっています。きっとこの景色がホテル最大のおすすめチャームポイントだったのでしょう。

1階には大浴場があり、その広さや造りの立派さから、かつてのこのホテルの規模や、天皇陛下をお迎えしたという格式を知ることができます。

上階の様子

現在は廃墟となっている熊本県の「阿蘇観光ホテル」の本館は4階建てです。貴賓室にはシャンデリアや凝った透かし模様の間仕切り扉などが残り、明るい窓から見える緑と共に、往時の居心地の良さが容易に想像できます。各客室からも阿蘇の山並みが見えます。

大広間は三角屋根の形の影響を受け、上がややすぼまっている空間です。天井のあちらこちらが剥がれて垂れ下がり、異様な雰囲気を醸し出しています。この部屋の正面の壁には黒板があり、セミナーなどが開かれていたのでは、と推測されます。

屋上に出ると、阿蘇の山裾が見晴らせます。ホテルの近くには白い噴煙が立ち上っているのが見えますが、これはこの場所に温泉が湧いているということです。かつてここは「湯の谷温泉」として知られていた場所なのです。当時は「阿蘇観光ホテル」の他にも宿泊施設がありましたが、今では1軒も残っていません。

地下の様子

熊本県の「阿蘇観光ホテル」の地下は医務室や従業員の控室などがあった階です。大規模なホテルだっただけに、従業員室も4つほどあります。

霊感が強い人は、この地下エリアで何かを強く感じることが多いと言われていますが、地下であるため冷たい空気がじめじめしていて黴臭く、どんな人でも不気味に感じる雰囲気があります。

地下は真っ暗で灯りがないと何も見えないエリアもありますし、壊れて傾いた棚が通路をふさいでいる箇所もあります。所々に外の明かりが入る場所がありホッとします。

熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」はなぜ心霊スポットと言われるようになったのか?

熊本県の「阿蘇観光ホテル」は廃墟ですが、心霊スポットではありません。心霊スポットと言われるのは心霊現象や、幽霊の噂、目撃談などが多くある場所なのですが、「阿蘇観光ホテル」はそれには当てはまらず、マニアの間で心霊スポットとして認知されているわけではないのです。

ですが、一部では「阿蘇観光ホテル」が心霊スポットとして信じられ、紹介されていたりします。確かに荒廃した廃墟に落書きや首吊り人形などが置かれ、不気味な雰囲気がありますが、心霊スポットと言われている理由はそのためだけではありません。

1番の理由は「廃墟」と「心霊スポット」を混同している人が多く、「廃墟=心霊スポット」と思われていることなのではないでしょうか。しかし、「阿蘇観光ホテル」の場合にはそれ以外にも理由があります。

ホラー映画のロケ地になる

熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」が「心霊スポット」と言われる理由の1つ目は、ホラー映画のロケ地になったことです。2005年の清水崇監督による『輪廻(りんね)』というホラー映画がそれです。ちなみにこの映画の主演は人気女優の優香さんで、彼女のファンの間では変わり種のおすすめ作品として知られています。

『輪廻』は生まれ変わりをテーマにしたミステリー・ホラー作品ですが、主人公の夢の中に度々登場する赤い屋根の大きなホテルが「阿蘇観光ホテル」なのです(設定は群馬県にあるホテルということでした)。

ホラー映画の撮影スポットになったということで、廃墟と心霊スポットを混同しがちな一般の人たちの中で一躍「心霊スポット」のイメージが定着してしまいました。

有名な霊感タレントに紹介される

熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」が「心霊スポット」と言われる理由の2つ目は、有名な霊感タレント・稲川淳二氏にメディアで紹介されたことです。

2013年の心霊ドキュメントDVD 『稲川淳二 恐怖の現場』で「阿蘇観光ホテル」がロケ・紹介されました。この中で霊感をもつという稲川氏は、特にホテルの地下で男女の声がする、幽霊がいる、などと発言しています。

実際は、稲川氏以外の目撃談などはほとんどないのですが、稲川氏の知名度の高さから「阿蘇観光ホテル=霊感スポット」のイメージが広まりました。

近くに自殺の名所があった

熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」が「心霊スポット」と言われる理由の3つ目は、近くに自殺の名所があったことです。それは「阿蘇大橋」という1981年から2011年の30年間に59件もの飛び降り自殺があった場所です。

「阿蘇大橋」には自殺を思いとどまらせるためのお地蔵さんもたてられ、フェンスなどの対策も取られていましたが、2016年の熊本地震で橋自体が崩落してしまいました。

近くに自殺の名所であったことと共に、橋が崩落したという事実が不気味なイメージを醸成し、「阿蘇観光ホテル」が心霊スポットと呼ばれていることに一役買っていることは想像に難くありません。

Thumb全国の心霊スポットランキング!本当に怖いと言われる名所とアクセスを紹介!
日本全国には怖いと言われる心霊スポットが数多く点在しています。心霊スポットランキングでは全国...

熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」に関連する品が駅に?

今は廃墟にになってしまっている熊本県の「阿蘇観光ホテル」ですが、ホテルにあったもので、今は別の場所に移されて命脈を保っている品があります。

その品があるのが阿蘇郡阿蘇村にある南阿蘇鉄道高森線の「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」です。「阿蘇観光ホテル」に興味がある人は、こちらを訪問するのもおすすめです。

阿蘇下田城ふれあい温泉駅にある「阿蘇観光ホテル」の品

「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」に移された、「阿蘇観光ホテル」にあった品とは「縁結びの石」と男性を表す「石灯篭」です。

現在は山並みを望む開放的な位置に置かれている「縁結びの石」と「石灯篭」の脇には、この2つが「阿蘇観光ホテル」が閉館し、人目に触れることがなくなったためこの地に移した旨が書かれています。
 

「縁結びの石」の言い伝え

「阿蘇観光ホテル」から移された「縁結びの石」は、真ん中ちかくに穴が開いている大きな石です。

男女が石の両側からこの穴の中で固く手を結ぶと2人は必ず結ばれるという言い伝えがあり、訪れたカップルが試している姿が見られます。きっと「阿蘇観光ホテル」が健在の頃も、同じようなほほえましい光景が見られたのでしょう。

廃墟を訪ねる時の注意点

廃墟はどう考えても安全な場所ではないので、大多数の人は探検してみようとは思いませんし、おすすめもできません。

が、中には廃墟の内部を見てみたい、写真を撮ってみたい、という思いをもつ人も一定数います。ネットでは廃墟マニアの交流サイトや、たくさんの訪問レポートなどが掲載されているのが実情です。

廃墟を訪問するには、いくつもの注意点があります。まず、廃墟にしか見えない建物にも管理者がいます。敷地内を探索したい場合は、事前に管理者に許可をもらうのが常識です。許可なしでは不法侵入で処罰されることもあります。許可が得られない場合は、敷地外から写真を撮るだけにとどめておきましょう。

許可を得て廃墟に行く場合、1人では何かあった時に危険です。可能なら3人くらいで行くのがおすすめです。そして当然のことながら、そこにあるものに触れない、動かさない、持ち出さないということが大切です。はしゃいだりする行為も慎むべきです。

服装や足元にも注意です。汚れてもよい服、頑丈な靴を履いて出かけることが必須です。動きやすいよう、バッグはコンパクトで身体に密着するものがおすすめです。

そして、訪問した後はSNSなどで発信したくなるのは人情ですが、廃墟へのルートや住所など、不特定の人が行けるような情報は書かないのがマナーです。

熊本県の廃墟「阿蘇観光ホテル」へは自己責任で

以上、今は廃墟となっている熊本県の「阿蘇観光ホテル」をご紹介しました。かつての姿を思い浮かべると感じることも多い廃墟ですが、後世への遺産として保存・公開されているところ以外は、基本的に個人で行くのはおすすめできません。「阿蘇観光ホテル」も例外ではありません。

それでも敢えて訪問してみたいと思う場合は、必ず上記の注意点を守り、何かあった時は自己責任を取る覚悟で向かってください。

関連記事

Noimage
この記事のライター
MinminK

新着一覧

最近公開されたまとめ