長崎の軍艦島とはどんな島?真実の歴史と由来・心霊の噂を探る旅!

長崎の端島とは「軍艦島」いう通称で知られる島です。軍艦に似ていることに由来するその島は石炭の採掘で栄えた歴史がありますが、今は無人島になっています。心霊スポットとも言われていますが、その由来とは?今回は「軍艦島」の歴史を中心に心霊現象についてもお伝えします。

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目次

  1. 1軍艦島は長崎のおすすめ観光スポット
  2. 2その歴史から心霊スポットと言われる軍艦島とは
  3. 3心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは1:1890年から1914年
  4. 4心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは2:1914年から1945年
  5. 5心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは3:1945年から1964年
  6. 6心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは4:1964年から1974年
  7. 7心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは5:1974年以降
  8. 8軍艦島が心霊スポットと言われる歴史的由来とは
  9. 9心霊スポットと言われる軍艦島の心霊現象とは
  10. 10心霊スポットと言われる軍艦島に行くには
  11. 11深い歴史をもつ軍艦島を訪ねよう

軍艦島は長崎のおすすめ観光スポット

「軍艦島」として知られる島は、正式名称を端島(はしま)といい、長崎県の長崎市に属する島です。現在は無人島ですが、かつて多くの人が住んでいた住居や施設が残っており、近年は廃墟ブームに乗っておすすめの人気観光スポットになっています。また、この島は心霊スポットとの噂もあります。今回は「軍艦島」についてお伝えします。

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その歴史から心霊スポットと言われる軍艦島とは

端島、通称「軍艦島」は長崎の南西の沖合17.5キロメートルに位置しており、大きさは南北に約480メートル、東西に約160メートル、面積は約6.3ヘクタールになります。もともとは南北約320メートル、東西約120メートルだったものを6回にわたって埋め立てて約3倍の面積にしたもので、島全体が堤防で囲まれています。

今ではおすすめ観光スポットになっている「軍艦島」ですが、元は石炭の採掘が行われていた島です。最盛期には5000人を超える人がこの狭い島に住み、島の人口密度は東京よりも多く日本一だったそうです。限られた土地に多くの人を住まわせるため建物の高層化が必要になり、日本で最初の鉄筋コンクリートのアパートがここ軍艦島に造られました。

「軍艦島」には炭鉱夫と共に子供を含むその家族も住んでいたので、島の西部と北部には学校をはじめ商店、派出所、寺院、公民館など、住民の生活に必要なあらゆる機能をもった建物がありました。体育館、武道場、パチンコ店、雀荘、プールなどの娯楽施設もあったそうです。島の中央は岩山、島の東部と南部には炭鉱の施設が集まっていました。

心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは1:1890年から1914年

長崎のおすすめ観光スポット「軍島島」が歴史に登場するのは明治時代になってからです。それまでは地元の村人が地上に露出している石炭を掘って売っていたという記述があるくらいにとどまっています。

明治中期の1890年、この島を所有していた旧藩主の家が三菱に島を譲渡したことから「軍艦島」の開発が急速に進むことになります。

「軍艦島」を所有することになった三菱は、大規模に石炭の採掘をはじめ、九州本土との連絡船の運航、飲料水の供給システムの整備、小学校の建設など、「軍艦島」に住むことになった人々のための生活基盤の整備を進めていきます。労働者も徐々に三菱直轄の身分になっていきました。三菱はその後約100年間「軍艦島」を所有することになります。

心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは2:1914年から1945年

大正初期から昭和20年の終戦までに当たるこの時期は、長崎の「軍艦島」の石炭産出量の最盛期でもあり、島の様相が整えられた時期でもあります。この頃の日本は戦争の連続で、国の近代化が推し進められました。「軍艦島」で採れる良質な石炭は国の発展を大きく支えていたのです。「軍艦島」というニックネームが付けられたのもこの時期です。

「軍艦島」の呼び名は、当時長崎造船所で建造されていた軍艦「土佐」に島の様相が似ているということに由来します。1914年から1945年のこの時期、多くの石炭を掘りだすための人出が不足し、中国や朝鮮からも労働者を雇い入れましたが、労働環境は厳しいものがあり、炭鉱事故などで死傷者の数も増えていきます。

心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは3:1945年から1964年

第2次世界大戦が終わると「軍艦島」の人口は増えていきます。戦争に行っていた人たちが帰還したことやGHQの政策などが要因ですが、島の住宅難が深刻になってきました。人口の最盛期は1960年で約5300人、人口密度は東京特別区の9倍にもなりました。町としての機能はほぼ完結していましたが、火葬場と墓地は隣の島に設けていました。

1945年から1964年のこの時期、長崎の「軍艦島」でも労使関係が発展、近代化され、1946年には労働組合も設立されました。賃金や余暇時間が増えましたが、人口が増えたにもかかわらず石炭の産出量は減ってしまいます。過去の産出量の多さは、過酷な長時間労働に支えられていた面が大きいことがわかります。

心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは4:1964年から1974年

1960年代以降は、主要なエネルギーが石炭から石油に移っていった時期です。1964年には「軍艦島」で自然発火による事故があり、人口が激減する原因になりました。が、残った人たちのために住環境を改善するなどの施策もとられ、その頃の調査では、島の住民の満足は高い、との結果も報告されています。

しかし時代の流れには勝てず、エネルギー政策の転換で長崎の「軍艦島」の炭鉱も1974年はじめには閉山になってしまいます。その時島に残っていたのは最盛期の人口の半分以下の約2000人でしたが、4月には全員が離島して「軍艦島」は無人島になりました。おすすめ観光スポットとして脚光を浴びるにはそれから30年余りの時が必要でした。

心霊スポットと言われる軍艦島の歴史とは5:1974年以降

1974年の炭鉱閉山で無人島になって以来「軍艦島」は風化するに任せていましたが、2000年代になるといくつかの点で再びこの島が注目を浴びることになります。1つは、国の発展に貢献した「近代化遺産」という観点から、また1つは「大正から昭和にかけての集合住宅」という観点からです。そこにもう1つ「廃墟ブーム」が加わります。

2001年「軍艦島」は三菱から高島町に無償譲渡されます。2005年に報道関係者に島の上陸が許可され、島の様子が全国に知られるようになりました。見学路などが整えられ、一般の観光客が島に上陸できるようになったのは2009年からです。現在、軍艦島上陸ツアーによる経済波及効果は65億円と言われ、地元に大きく貢献しています。

軍艦島が心霊スポットと言われる歴史的由来とは

長崎の「軍艦島」は心霊スポットと言われていますが、その由来は何なのでしょうか。島の荒れ果てた建物群、荒涼とした雰囲気などもその原因かもしれませんが、島がたどってきた歴史にその由来がありそうです。

近代的な労使関係ができるまで、多くの炭鉱労働者たちは搾取とも言える労働環境に置かれ、苦しんできました。

また、炭鉱は危険と背中合わせの現場です。特に産出量の増えた時期には事故も多く、非常に多くの人が亡くなっています。1939年から1945年には窒息死、圧死、爆死などで死亡者は日本人1162人、朝鮮人122人、中国人15人にのぼったとの記録があります。このような歴史的事実が心霊スポットと言われる由来になっていると思われます。

長崎の「軍艦島」の死亡者の中には炭鉱事故で亡くなった人達だけでなく、自殺をした人、逃げ出そうとしてつかまり、見せしめのために拷問を受けた人などもいたようです。そのような負の部分も明らかになるにつれ、「軍艦島は心霊スポット」というイメージと結びついていったのでしょう。

心霊スポットと言われる軍艦島の心霊現象とは

心霊スポットと言われる長崎の「軍艦島」には本当に心霊現象があるのでしょうか。話題になっていものの大半は「いるはずのない子供の声や変な音が聞こえた」というものですが、廃墟なので普通以上に風などの音が響きますし、荒廃が進んでいるので常にどこかが壊れていきます。殺伐とした風景がちょっとした物音を異様な音に感じさせるようです。

他にも「軍艦島」の心霊現象としては「島でキャンプをしたら翌朝には1人いなくなっていた」というものもありますが、島に勝手に上陸することはできないのでこの話の信憑性はかなり疑問です。また「写真に人影が写った」というよくある話もありますが、いずれにせよ心霊現象を期待して島を訪問することは全くおすすめできません。

心霊スポットと言われる軍艦島に行くには

長崎の「軍艦島」へは個人で上陸することはできません。長崎港からは数社が「軍艦島」へ行くクルーズを催行しているので、クルーズツアーに参加するのがおすすめです。

中には島に上陸しないコースもあるので注意が必要です。クルーズの催行は波や風に左右されるので、平均すると年間100日程度になります。行かれない時は諦めることも必要です。

「軍艦島」に上陸したら、ガイドと共に決められたルートを見学することになります。見学できるのは、島の南側の桟橋、見学広場、約220メートルの見学通路とかなり限られた場所でけなので、少し物足りなさを感じるかもしれません。崩壊の危険性などからその他の場所は厳しく立ち入り禁止になっているので、必ずルールを守って観光してください。

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深い歴史をもつ軍艦島を訪ねよう

長崎県の「軍艦島(端島)」の歴史を中心にご紹介しましたが、いかがでしたか。炭鉱として短くも深い歴史があることがお分かりいただけたと思います。また、この島が心霊スポットと言われる由来も、島の歴史と大きく関わることを感じ取って頂けたことでしょう。「軍艦島」に行く機会があったら、この記事のことを思い出して頂ければ幸いです。

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MinminK

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